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◆◆戦国武将の館T. ◆武田氏◆真田氏

武田氏史跡D ◆1.大井俣窪八幡(おおいまたくぼはちまん)神社・・山梨市

◆2.大善寺
(だいぜんじ)・・
勝沼市 2005.2.14


1.【大井俣窪八幡(おおいまたくぼはちまん)神社・・山梨市


●日本最古の木造鳥居(重要文化財)

この神社の特色はまず、鳥居が「こげ茶色」で非常に珍しく、なかなか渋い感じです。この表参道の鳥居は、天文4年(1535年)、信虎が42才の厄よけ祈願のために建てられたもので日本最古の木造鳥居(重要文化財)と言われています。

鳥居
を撮影したかったのですが、参道が工事中でした。本殿がこの鳥居から200mぐらい奧にあります。実はここが武田氏ゆかりの神社とは知らず、たまたま道をまちがえて通りがかったら、『大井俣神社』の鳥居の名称が目に飛び込んできました。気に入ったので奧へ進んだら、渋い社殿があって、武田氏のゆかりの神社ということがわかりました。


当社は、貞観元年(859)、清和天皇の勅願により、東国鎮護として、豊前国宇佐八幡宮より勧請。笛吹川の中島、「大井俣」の地に建立したのが始まりとされる。後に現在の「窪の地」に還座した。大井俣は、はじめに建立した時の地名である。韮崎市の武田八幡神社と共に、甲斐源氏一門、とくに国主武田氏の崇敬篤く、現在残っている社殿や壁画などは武田家歴代の当主が建立・修復・再建した。
現本殿は、応永17年(1410)武田信満が再建。享禄4年(1531)、武田信虎が修復、弘治3年(1557)、武田晴信が川中島合戦の戦勝祈願成就によって、御扉と金箔による豪華な壁面を奉納している。11点が重要文化財に指定されている。昭和26年、解体復元工事が竣工した。


2.【大善寺(だいぜんじ)・・勝沼市

大善寺は真言宗智山派のお寺。山梨県で真言宗の寺は珍しい。奈良時代の718年、行基によって創建された由緒ある寺で、聖武天皇より鎮護国家の寺として、歴代天皇の勅願所と定められ、後、高倉天皇が再興した甲斐第1級の古刹で本堂の薬師堂は県内最古の寺院建築で国宝。歴代武家の祈願所ともなっており、武田氏も厚く保護してきた。1355年、武田信春公は外敵の進入に対し、当山において戦勝祈願を行ったという。陣を率いて敵を打ち破ったあと、そのお礼に厨子(国宝)を納め、以後、武田家の祈願所となった。天文9(1541)年の夏、台風により本堂や伽藍が大破した際、武田信玄が、本堂・伽藍の修理復興をした。

写真;●山門 ●弁天絵馬(この寺の七福神は弁財天)


●厄除けワラジ弁財天人形 ●弁財天の掛け軸 ●さすり弁天石像





●江戸時代初期に作られた石庭

庭には鶴と亀に似せて石が置かれている。石庭の見える大座敷では精進料理が戴ける。昭和52年から民宿を始め、50名収容できる。宿泊費は1泊5700円。薬師堂で座禅も組める。暖かい季節がおすすめです。

























●薬師堂(本堂)

鎌倉時代に建てられた国宝建造物。調和のとれた優美な屋根は、ひわだ(ひわいだではありません)葺きで、力強さのある鎌倉らしい建造物である。薬師堂の国宝の厨子の中にある、薬師如来座像・日光月光菩薩の三体の像は平安時代の初期の桜の一本彫りで曲線が優美である。十二神将も背後に並び、圧巻である。十二神将は向かって右から、「子牛寅卯辰巳・・・・・・」と干支の順に並んでいます。全ての仏像がきれいに磨かれていて、武田信玄の時代の朱塗りの色で磨きが留められています。 

●鐘楼 ●薬師堂からの眺め























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