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◆◆戦国武将の館T. ◆武田氏◆真田氏

 武田氏史跡B 恵林寺1. 山梨県・塩山市 2005.2.14


◆◆恵林寺の歴史◆◆

1330年、夢窓国師(むそうこくし・当時55才)によって開かれた、臨済宗円覚寺派のお寺。二階堂道蘊(どううん)に頼まれて、道蘊(どううん)宅を禅寺に改装したのが、恵林寺の始まりである。


庭造りのスーパースターとして国師は有名だが、元々は寺の建築が専門である。国師は恵林寺を建てた9年後に、京都に天竜寺を建てているが、
どことなく恵林寺と天竜寺はデザインが似ている。どちらも規模は違うが、臨済宗で国師の建てたお寺という共通点がある。

恵林寺は武田信玄の時代に妙心寺派(本山・京都)になった。信玄の菩提寺となっている。








































●うぐいす廊下(敵を察知する・歩くときゅっきゅっと音が鳴る)

●武田不動明王(写真;境内・一休庵の不動明王)

このうぐいす廊下の右手に武田不動明王がある。1571年頃、信玄公が比叡山より大僧正位(だいそうじょうい)を受け、記念像として京都から仏師を招いて自分の体を等身大に模刻した不動明王で、武田の守護神である。



●廊下の右手にある
信玄公廟所























◆夢窓国師(1275〜1351年・臨済宗の僧)

伊勢の生まれで幼少の時、甲斐の国へ移り住み、9才の時出家した。初めは天台宗や真言宗を学んでいたが、後に臨済宗(禅宗)に帰した。全国を行脚して後醍醐天皇の命で、京都・左京区に南禅寺を建てたり、後醍醐天皇の菩提を弔うために、足利将軍の命で、京都・嵐山に天竜寺を建てた。西芳寺、南禅寺、恵林寺、天竜寺など庭の作庭も手がける。


◆夢窓国師の作った庭

枯山水や、心寺池、滝、築山、石、木、橋・・すべての庭園美を備えた美しい庭園である。数日前に降った雪が残っている。昭和17年に国指定の名勝となった。






















































◆四脚門(赤門)

織田軍に全山焼かれた後、徳川家康によって1606年に再建された門で当時の棟札(むなふだ)がある。重要文化財。

◆三門(右側)


武田氏滅亡(1582年3月)後の天正10年(1582年4月3日)、快川(かいせん)国師をはじめ、他百二十余名の高僧がこの門で織田軍に焼き討ちされた。快川国師は、孫子の旗を書いたり、信玄の葬儀をとりおこなった、武田家ともっとも親交の深かった僧侶である。信玄はこの僧侶をとても尊敬し、心の師として大切に想っていた。快川国師は火定の際、「滅却心頭火自涼・・心頭(しんとう)を滅却(めっきゃく)すれば火も自ずから涼し」と唱えたという。門の柱にはこの文字が刻まれている。県文化財。


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