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金王(こんのう)八幡宮2.

源義朝、源頼朝、金王丸ゆかり   

東京都渋谷区渋谷3−5−2   2012.2


■渋谷金王丸(こんのうまる)常光

永治(えいじ)元年(1141)8月15日、渋谷重家の子として、生まれる。金王丸の祖父・平武綱は後三年の役で多大な功績を果たし、源義家より渋谷の地を賜った。金王丸の父、平重家は禁裏の賊を退治し、堀河天皇より、渋谷の姓を賜り、八幡神を祀るこの地に渋谷城を築いた。

重家は子に恵まれず、夫婦で当八幡宮に祈願したところ、立派な男児が授かった。その子に夢のお告げに現れた金剛夜叉明王の二文字をとり、金王丸と名付けた。

☆金王丸の功績☆・・源義朝への忠義

17歳の時、源義朝に従い、保元の乱(1156)で功績をあげ、その名を轟かせた。続く平治の乱(1159)で源義朝は尾張・野間の地で落命する。金王丸は京に上り、長田忠致の暴挙・謀反を義朝の妻、常盤御前に伝える。この後、金王丸は出家し、土佐坊昌俊と名乗り、義朝の霊を弔った。

☆金王丸の落命☆・・意にそぐわぬ、義経征伐で落命

源頼朝は金王丸のいる八幡宮で、平家打倒の祈願をして挙兵する。壇ノ浦の合戦で平家を倒す。この後、義経に謀反の疑いをかけた頼朝は、金王丸に義経を征伐するように命じる。断りきれない金王丸(昌俊)は、文治元年(1185)、100騎の兵をひきい、義経の館に討ち入り、勇将として立派な最期を遂げた。


金王丸の武勇・・後世に伝わる

「平家物語」「源平盛衰記」「平治物語」「吾妻鏡」「近松戯曲」などで伝わる。








●金王丸を祀る「金王丸御影堂」















●金王丸桜(渋谷区指定天然記念物)・・鎌倉、頼朝の館にあった桜を移植

江戸の三名桜の一つに数えられている。長州緋桜という種類で、一枝に一重と八重が入り交じる珍しい品種。文治5年(1189)7月7日、頼朝が奥州藤原泰衡討伐の際、渋谷高重(金王丸の父である渋谷重家の孫)の館に立ち寄り、八幡宮に太刀を奉納し、金王丸御影堂で金王丸の遺徳を偲び、鎌倉亀ヶ谷の頼朝の館にあった桜を移植し、「金王桜」とした。
















●金王丸桜の傍らにある、芭蕉の句碑

「しばらくは 花の上なる 月夜かな」
















●社殿  ●宝物館












●宝物館・・神輿、頼朝奉納の太刀、金王丸の毒蛇長刀、左甚五郎作の獅子頭一対、大江山鬼退治図絵馬など、多数有する。 

●御嶽(みたけ)神社

本社は武州(埼玉県・秩父)御嶽山にある。開運・
商売繁盛の御利益がある。日本武尊を祀り、武道守護神として、武士の信仰を集める。ここに祀られたのは、この地が武門の誉れ高い渋谷氏の居城であったことによる。















●玉造稲荷社















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