東京・目次に戻る

トップページに戻る


金王(こんのう)八幡宮1.

★源義家、渋谷氏ゆかり
  

東京都渋谷区渋谷3−5−2   2012.2


■この八幡宮は平安時代、堀河天皇の御代、寛治(かんじ)6年(1092)に鎮座した。桓武天皇の曾孫である高望王の後裔(あとすえ)で、秩父別当・平武基は、源頼信による、「平忠常の乱」平定において功績をのこし、軍用八旒(はちりゅう)の旗のうち、日月二旒(にりゅう)をもって、秩父妙見山に納め、八幡宮と崇(あが)め、奉(たてまつ)った。

■平武基の子・平武綱は、嫡子・平重家と共に、「後三年の役」(1087)の源義家の軍に300余騎を従え、1番で参向し、仙北金沢の柵を攻略した。その大功により、平武綱は、名を「河崎土佐守基家」と賜り、武蔵谷盛庄(現在の渋谷区一帯)を賜った。

■源義家は、この勝利は平武綱(平基家)の信奉する八幡神の加護であるとして、平基家が拝持する秩父妙見山の月旗を乞い求め、この渋谷の地に八幡宮を勧請した。

■渋谷発祥の地・・「渋谷城、砦の石」

平基家の嫡子、平重家は禁裏(京都御所)に進入した賊を退治したことにより、堀河天皇より、「渋谷」の姓を賜った。渋谷氏は、
渋谷重家(平重家)以来、当八幡宮を中心に館を構え、居城とした。渋谷氏は代々当八幡宮を氏族の鎮守と崇めた。これが渋谷の発祥ともいわれ、現在も境内に「渋谷城、砦の石」が保存されている
















渋谷の総鎮守

渋谷氏が
武蔵谷盛庄七郷(渋谷・代々木・赤坂・飯倉・麻布・一ッ木・今井)を領したので、当八幡宮は、鎌倉街道(現、八幡通り)、大山道(現、青山通り・道玄坂)を中心とする渋谷・青山の総鎮守として現在も数多くの崇敬をあつめている。
当八幡宮は、「渋谷八幡宮」と称されていたが、渋谷重家の子・渋谷金王丸(こんのうまる)の名声に因み、「金王八幡宮」と呼ばれるようになった。

●平成24年は、金王丸生誕871年、八幡宮御鎮座921年を迎える
















●鳥居

●神門(赤門・・渋谷区指定有形文化財)・・江戸時代後期













●手水舎  ●ゆったりとした境内・・背後に高層ビルも見える












●神木 ●本殿(御社殿












●御社殿・・渋谷区指定有形文化財・・江戸時代初期

現在の御社殿は、徳川秀忠の世、慶長17年(1612)、青山忠俊と春日局によって造営された。竹千代(後の家光)9歳、国松(後の忠長)7歳の頃・・三代将軍の座をめぐり、青山忠俊と春日局は多大な資財を寄進し、竹千代の出世を祈願したという。

社殿は権現造りで江戸時代の様式を現在にとどめる。絢爛豪華な装飾を帯び、東照宮を彷彿とさせる。













拝殿正面左右の「虎(正しいまつりごとへの祈り)と貘(世の安寧への祈り)」・・大変珍しい装飾とされている












東京・目次に戻る

トップページに戻る

FC2 キャッシング 無料ホームページ ブログ blog
SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO