トップページに戻る

旅行1の目次に戻る

旅行1. 

NO14.ダジャレ中国(北京・西安・洛陽)   2004.10.1


★337. 「『黄巾(こうきん)の乱』」で後漢が滅びたのは抗菌(こうきん)対策をじゅうぶんしていなかったからだ」と公金(こうきん)を横領した政治家が言った

★336. 「魏の武帝の字(あざな)はえーとそうそう、孟徳・もうとく」と言った人は曹操(そうそう)・・武帝・孟徳・曹操は同一人物

★335. 「漢朝(かんちょう)は官庁(かんちょう)で浣腸(かんちょう)されて滅びたよ」と劉備が言った

★334. 隋の煬帝(ようだい)が家臣に「何のようだい?」と尋ねたところ家臣は「都は長安より洛陽(らくよう)の方が楽よう(らくよう)」と答えた

★333. 「仏教を広めるために都庁にでも行くか」とぶつぶつ言ってた僧は・・ぶつぶつとちょう・・仏図澄(ぶつとちょう)

★332. 山に行って「クマだ、10頭も」と言った僧は・・クマだ10・・鳩摩羅什(くまらじゅう)

★331. インドで魚のほっけを発見して食べた僧は・・ほっけ発見・・法顕(ほっけん)

★330. どうして高句麗には、こうくり(栗)があるの

★329. 匈奴(きょうど)が、強度(きょうど)を高めるために、郷土(きょうど)料理を食べた

★328. 獅子舞(ししまい)に「唐朝(とうちょう)は盗聴(とうちょう)して倒してし(お)しまい」と言った人は・・史思明(ししめい)


★327. 玄宗(げんそう)皇帝が「いつまでも幻想(げんそう)を抱けないな」とつぶやいた

★326. 875年、「黄巣(こうそう)の乱」で香草(こうそう)を使った方がいいと高僧(こうそう)と構想(こうそう)を練ってた人は・・黄巣(こうそう)

★325. 「唐を滅ぼしたあと都を修繕中(しゅうぜんちゅう)」と言った人は・・朱全忠(しゅぜんちゅう)

★324. 匈奴の頭領の長子、冒頓(ぼくとつ)は、ぼくとつな人だった

★323. 「唐の次は宋(そう)?」「そー(宋)だんです!」

★322. 宋の太宗(たいそう)は、たいそう、体操(たいそう)が好きだった

★321. 「宋の歴史書『資治通鑑・しじつがん』は柴咲コウさんにも読ませたいな」・・司馬光(しばこう)

★320. 『殷墟』に隠居しようかな

★319. 儒学の王陽明(おうようめい)が演歌を歌ってるよ・・♪おう嫁ーに来ないかー

★318. 明の武将、呉三桂(ごさんけい)・・「三国志の御三家(ごさんけ)は劉備と孫権と曹操だよ」

★317. 項羽と劉邦が「我々は反秦タイガースを応援しよう」と言った

316. 項羽が「降雨(こうう)の長江(ちょうこう)に、ちょこっとだけ行ってみたい」と言った

315. 故宮で、深呼吸して、胡弓を弾く

314. 遣唐使(けんとうし)の受け入れについて、(けんとうし)よう


北京

万里の長城
・・月から見える唯一の建造物、全長6000km、周の末期から造られ、秦の始皇帝により長城の原型ができあがりました。当時城壁は土を固めたものでしたがその後、明代の時に造られたレンガの城壁で現在に至っています。















故宮博物院・・
故宮(紫禁城)は500年にわたる明・清朝の皇帝の城を全て博物館にしたもので皇帝一族が使用した宝物や生活用品が見られます

天壇・・
15世紀に創建された明・清代の祭壇。ここで五穀豊穣を天に祈ったそうです

明の十三陵(馬の写真)・・
北京市北西50kmにある明朝の王13代の陵墓。参道にはらくだや象や馬などの石獣が並んでいます

















西安


西安はシルクロードの出発点。
秦始皇帝・・が有名です(高さ43m)。なぜ始皇帝なんて名前がついたか知ってる方もいらっしゃると思いますが、中国で統一王朝ができて初めての皇帝ということで「始皇帝」という名前がついたそうです。この陵の土は植物が生育しないように焼いて作られたそうです。13才で王位について翌年の14才から38年かけてこの墳墓を造ったそうです。地下の墓室には宮殿や広間が造られ、たくさんの宝が収められているそうです。盗掘者があれば自動的に矢が発射されるしかけもあったそうです。


華清池(かせいち)

ここは西安市の北東にある温泉保養地です。玄宗皇帝と楊貴妃はこの保養地で暮らしました。楊貴妃の浴槽は大理石でできた豪華なものもありますが、それとは別に、小さめの浴槽も花柄がきれいなので掲載します。楊貴妃はこの浴槽も気に入っていたと思います。楊貴妃は26才で玄宗に出合って愛されますが、38才で玄宗の命令で臣下に殺されてしまうかわいそうな妃だと思います。

国破れて山河在り 城春にして草木深し(757年・杜甫の詩)が感慨深いです。



















秦始皇兵馬傭抗博物館(しんしこうへいばようこう)


この博物館は始皇帝陵の東2kmの地点にあります。1974年の3月、農民が井戸を掘っているときに発見されました。総勢7000の兵士、500の軍馬、130両の戦車が地下4mのところで実物大で発見されました。「傭・よう」というのは殉死を避けるために埋葬された人形のことです。兵士の表情は全て異なります。そのほかに西安動物園でパンダを見たり、大雁塔、 陝西省博物館、阿倍仲麻呂記念碑などを見学しました。

洛陽

竜門石窟(写真)が有名です。敦煌・雲崗と共に中国三大石窟の一つです。北魏の時代から唐の末まで400年かけて彫り続けられました。大小10万の仏像が彫られています。

















トップページに戻る

旅行1の目次に戻る


           

SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO