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江戸東京たてもの園C 【昭和の建物】 

2005.3 小金井公園


1.三井八郎右衛門(はちろううえもん)邸

三井財閥の三井八郎邸は、第二次世界大戦後の1952年(昭和27年)に建てられました。三井家の先代は伊勢・松阪出身で江戸時代に江戸の日本橋で呉服商を営んだのが始まりです。三井家創業の日本橋三越デパートは「越後屋」という店の名前に由来しています。

三井財閥は、明治6年に三井銀行を兜町に設立したり、日本橋にデパートを開いたり、神田に三井記念病院を設立したり、三井不動産グループも展開して今日に至っています。庭や応接間なども豪華な造りとなっています。(港区西麻布より移築。白壁の土蔵と応接間は明治に京都に建てたられたものを移築)




































2.前川國男邸・・日本の近代建築の発展に寄与した、建築家前川國男邸。品川区大崎に1942年(昭和17)、物資の不足した戦時体制下に建てられた住宅です。外観は切妻屋根の和風、内部は吹き抜けの居間や書斎があります。

3.川野商店(和傘問屋)・・傘作りが盛んだった江戸川区小岩に建てられた和傘問屋の建物。1930年(昭和5)















4.植村邸・・外観は洋風の銅板を使用。『看板建築(関東大震災以降建てられた、装飾付きの商店建築。実際に看板が付いていなくても銅板やモルタルなどの装飾が看板にも見えたことからこの名前がついた)』という建築様式。2階は和風の造りになっています。前回の随想で紹介した荒物屋の駄菓子やさんに似ていますね。1927年(昭和2)の建物で中央区新富町から移築。

5.小寺醤油店・・大正の頃から、味噌や醤油、酒類を販売していた。1933年(昭和8)の建物で港区白金から移築。一升瓶がずらりと並んでいます。一升瓶は今でもありますね。

















6.村上精華堂(せいかどう・化粧品販売)・・昭和の初めに、化粧品のクリームや椿油、香水などを作って卸売りや小売をしていた。建物の正面は、人造石で、イオニア式の柱を持ち、当時としてはとてもモダンな建築でした。1928年(昭和3)の建物で、台東区池之端より移築。

7.花市生花店(はないちせいかてん)・・昭和の初めに建てられた看板建築の花屋店内は花屋らしいはなやかなムード。1927年(昭和2)の建物で、千代田区神田より移築。



















8.武居三省堂(たけいさんしょうどう・文具店)・
書店の三省堂とは関係ないようです。明治の初めに創業した文具店。書道用品の卸しから次第に小売に切り替わったそうです。文具店の棚は映画『千と千尋の神隠し』の中で、薬草の棚のモデルなったそうです。建物は看板建築で前面がタイル貼りになっています。1927年(昭和2)の建物で、千代田区神田須田町より移築。 


★神田須田町にはたくさんの看板建築の建物があります。運良く三省堂は『江戸東京たてもの園』に移築されて、生き残れそうですが、大半の古い建築物は消滅の危機にあります。
空襲で生き残った看板建築や建物は希少価値です。

★東京大空襲
(60年前の1945年・昭和20.3.10未明・・浅草など神田を含む下町一帯に、2時間に及ぶ空爆で、死者10万人・負傷者11万人・家を失った人100万人が被害を被りました。立ち止まれば背中に火がついたと言われています。田舎で「疎開」していた人は命が助かった・・・「そうかい」?)。

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