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★江戸東京たてもの園A 

小金井市小金井公園内 (2005.3.6)


■明治時代の建物

高橋是清(これきよ)邸


2.26事件の現場にもなった家

高橋是清・・江戸・明治・大正・昭和にまたがって駆け抜けた男(1854〜1936.2.26)

・破産王、転んでは起きあがる、七転び八起きのダルマ人生のダルマ宰相と言えばこの人。丸い顔と、円満な人柄もダルマと呼ばれた由縁。

高橋是清は、2才の頃、仙台藩の高橋家の養子となった。14才の時に洋学の勉強のためにアメリカに渡るが、うっかり奴隷契約書にサインして、身売りしてしまう。故郷の仙台に帰った時は、明治維新で仙台藩は賊軍として消滅。天涯孤独の身となる。20才前に予備校の教師をしていたが、芸者遊びをしすぎて、仕事を辞めて無一文に。その後、畜産業や銀相場、ペルーの銀山のもうけ話しにだまされ、合計で7回破産したそうです。破産しても、破産しても豪邸に住んでいた高橋是清って、すごい人ですね。



1936年・昭和11年2月26日・・
2.26事件勃発・・当時蔵相だった高橋是清、私邸で殺される。2階部分が書斎と寝室で「事件は会議室でなく現場(2階)で起きた」・・と湾岸署の青島警部が言いました。


陸軍の一部の皇道派将校に率いられた1400名の兵が首相官邸や内大臣私邸や警視庁を襲撃した。この事件で、斎藤実内大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監も犠牲となる。



















◎庭は、外と2階の部屋から撮りました。1Fの和室の一部が『茶房』になっています。茶房で、庭を眺めながら、「おしること抹茶」を戴きました。事件のあった邸宅でのんびりお茶を戴くというのは、何とも不思議な気分です。高橋是清氏は自分の家が、港区赤坂から武蔵野の地に移されて、一部が茶屋になって、人々の憩いの場になってるとは思いもつかないでしょうね。























組み井筒を水源にした流れと、雪見型灯籠などを含む景観が美しいです。是清は芝生での日光浴や庭の散策を好んだと言われています。









 


【明治の風物詩・・午砲(ごほう)、万世橋(まんせいばし)交番】

●午砲・・午砲は「誤報」しないように気をつけたそうです。江戸時代は鐘を鳴らして時刻を報せていたが、明治四年(1871)から昭和四年(1929)まで、皇居の旧本丸で正午を知らせる空砲を撃ったそうです。 この午砲は、通称「ドン」と呼んで親しまれ、関東大震災のときもその音を響かせ、人々を安心させたそうです。昭和になってから工場のサイレンにかわり、破棄された大砲は東京市に移管され、現在の江戸たてもの園の前身であった武蔵野郷土館に展示されるようになりました。形がろまん好み?!大砲(たいほう)をナメたら、逮捕(たいほ)するよ!♪ナメたらあかん、ナメたらあかん・・・。

●万世橋交番・・明治時代の後期、神田の万世橋のたもとにあった交番です。トレーラーでそっくり運んできたそうです















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