◆◆江戸時代 ゆかりの地
◇◇芝増上寺(ぞうじょうじ・浄土宗)
港区 2005.3
■東叡山寛永寺(上野・天台宗)と共に、徳川家の菩提寺・・歴代将軍の墓所
増上寺は、明徳四年(1393年)、浄土宗第八祖聖聡(しょうそう)上人によって開かれました。創建当時の場所は、現在の千代田区平河町から麹町にかけての土地と伝えられています。
室町時代の開山から戦国時代にかけて、増上寺は浄土宗の東国の要として発展してきました。安土桃山時代、徳川家康公が関東の地を治めるようになってまもなく、徳川家の菩提寺として増上寺が選ばれました(天正十八年、1590年)。家康公がときの住職存応(ぞんのう)上人に深く帰依したため、と伝えられています。
増上寺は慶長3年(1589)に、現在の芝の地に移転して、江戸幕府の成立後、家康公の手厚い保護を受けてきました。
家康公は元和2年(1616)増上寺にて葬儀を行うようにとの遺言を残しました。増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の、六人の将軍の墓所がもうけられています。
墓所には各公の正室と側室の墓もありますが、その中には家茂公正室で悲劇の皇女として知られる和宮も含まれています。
●増上寺大門(だいもん・表門にあたる)
●三門が非常に大きい。三門は「三解脱(さんげだつ)門」とも呼ばれています。東日本最大級を誇るこの門は、中門にあたります。建築様式は、三戸楼門・入母屋造り・朱漆塗り造り。「三解脱」とは、『むさぼり・いかり・おろかさ』の意味だそうです。
●本殿・・昭和49年に建て替えられました。本尊は阿弥陀如来。浄土宗大本山の寺として信仰を集めています。本殿前の階段は25菩薩に因んで、25段になっています。本殿と安国殿の間から東京タワーが見えました。
●鐘楼・・鐘の音が、江戸の街中響きわたったといわれている大きな鐘楼があります。
●ホテルニュージャパン火災(1982・2月)で被災した人の慰霊碑の観音さん
●安国殿(あんこくでん)・・家康公の一文字をとって、「安国殿」と名付けました。本尊は家康公の念持仏として有名な「黒本尊阿弥陀如来」です。また、黒本尊の両脇陣には、和宮像・聖徳太子像・仏舎利が祀られています。
●境内茶や「芝縁(しえん)」・・ころころだんご(中にあんこ)と甘酒
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