◆◆新撰組の部屋 史跡をたどる
★伏見奉行所跡 伏見区東奉行町桃陵団地 2009.2
中書島の寺田屋から東へ17分ほど歩いた所に、市営の桃陵団地があります。「伏見桃山駅」や「桃山御陵駅」から徒歩数分の所にあります。奉行所があったので、奉行町という地名がついています。この団地の一角に「伏見奉行跡碑」があります。道路から見えやすい位置にあります。
●新撰組との関わり
@慶応2年(1866)1月24日、寺田屋・坂本龍馬の手入れで、前日からこの奉行所に詰めた。
A慶応3年(1867)12月9日
「王政復古」・・岩倉具視らの画策で、朝廷は慶喜の位や領地没収して王政復古をすると宣言。長州藩の罪を許し入京を認める。幕府は亡くなり、守護職・所司代も廃止され、新撰組の隊名も亡くなる。
同年12月11日
二条城には、旧水戸藩の幕人、大坂城には慶喜が待機。朝廷との摩擦を恐れた幕府は佐幕路線の新撰組(このころ既に66人)に、伏見奉行所の警護を命令。同日、直ちに新撰組は不動堂村屯所を引き上げ伏見奉行所に詰める。しかしわずか3週間後に戦いの火ぶたが切られる。
B慶応4年1月3日、伏見鳥羽の激戦地で壊滅的になりました。
●この辺りは名水が豊富なことから酒造がさかんなので、建物も酒倉をイメージしたものになっています。
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