◆◆新撰組の部屋 史跡をたどる
★御陵衛士屯所跡・高台寺月真院 東山区高台寺
2010.3
伊東甲子太郎一派は、1884年10月、江戸を出発して新撰組に入る。しかし次第に勤王佐幕ではなく勤王倒幕を目ざす。慶応2年(1866)12月25日、孝明天皇が崩御する。同年2月、伊東は太宰府で中岡慎太郎らと密議を交わす。そして同年3月20日、孝明天皇の陵の警護をする禁裏御陵衛士を拝命して新撰組から離れ、高台寺党を結成する。その屯所が高台寺塔頭だったので、高台寺党と呼ばれた。この月真院の屯所は同年6月から11月18日の伊東甲子太郎落命まで、5ヶ月間使われていた。
●高台寺の通り、ねねの道にあります。茶色の塀が長く続いて大勢の観光客がこの前を通ります
★油屋小路事件・本光寺 下京区油小路町 2009.2
「伊東甲子太郎他数名殉難之跡」
慶応2(1866年)3月20日、新撰組を離れ御陵衛士となった伊東甲子太郎は、新撰組に命を狙われる。慶応2(1866年)11月18日、油小路の本光寺で事件が勃発。北辰一刀流で剣の達人だった伊東は、本光寺付近にいた近藤勇の妾の家で酒の接待を受ける。泥酔した伊東は、近藤の命を受けた新撰組の大石鍬次郎、数名から斬りつけられ落命する。放置された伊東の遺体を引き取りに来た藤堂平助らも斬殺される。藤堂も新撰組を脱退して御陵衛士になっていた。
ここは不動堂村のすぐ北側に位置する。この辺りに新撰組の屯所があるのに伊東はどうして罠にはまってしまったのだろう。
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