◆◆新撰組の部屋 史跡をたどる

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★寺田屋 伏見区南浜町  2009.2

●慶応2年(1866)1月22日、薩長同盟が成立。その同盟の橋渡しをしたのが土佐の坂本龍馬と中岡慎太郎。翌日の1月23日、伏見奉行所が坂本龍馬に手入れの計画を立てる。見廻組と新撰組にも応援要請がきた。新撰組は沖田総司・斎藤一と3人の平隊士で伏見奉行所に向かい待機する。

●おりょうの機転・龍馬の逃げ足の早さ・助け船との連携プレー

用意周到・・日頃からの入念な退路の確保・・

翌日の1月24日、数十人の役人で深夜寺田屋を包囲。坂本の逃げ道をふさいだはずだが逃げられる。お風呂に入っていた恋人のおりょうが裸で急を知らせたそうだ。坂本は隣の家に逃げこんでから脱出、近くの宇治川支流から来た助け船に乗って薩摩屋敷におりょうと逃げた。このときの瞬時の判断力・行動の素早さ、手回しの良さは、日頃から十分に打ち合わせされていたからだと思う。













●京都市の検証・・この建物が当時のものかどうか2008年秋に調査されました。結果は焼失した建物を再建築したものと判明。展示の仕方も再検討されているようです。






























●伏見寺田屋騒動址

1862年4月に尊皇攘夷派の9名の薩摩藩士が粛清された場所の碑

















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