◆◆新撰組の部屋 史跡をたどる

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★佐久間象山遭難之碑 

中京区木屋町通御池下る・三条小橋  2009.2

●佐久間象山は信州松代藩の出身。儒学や朱子学を修め、西洋科学の導入で殖産興国をすすめた。彼の塾からは、勝海舟・吉田松陰・坂本龍馬を輩出。元治元年(1864)に上洛し、開国論を唱えて公武合体に努めたため、同年7月11日に、肥後藩士・河上彦斎らに斬殺された。












高瀬川にかかる三条小橋角に碑があります。池田屋とは目と鼻の先です。















●角倉翁碑

三条小橋の脇にもう一つ石碑があります。慶長年間に高瀬側の開削を行った角倉了以(すみのくらりょうい)の碑があります。









駒札除幕式・・佐久間象山遭難之碑 
 

中京区木屋町通二条下る一之船入町  2011.9



高瀬川は江戸のはじめ、1611年、角倉了以により物流のための運河として開削されました。高瀬川は大正時代までの約300年間、舟で物資を運ぶ重要な役目を果たしてきました。

舟まつりが行われる、一之船入(いちのふないり)は、昭和9年に国の名勝天然記念物に指定されました。


■佐久間象山・大村益次郎遭難之碑「駒札の除幕式」が行われました。門川市長が参列されました。















■高瀬川のほとりにある佐久間象山・大村益次郎遭難之碑

佐久間象山は1811年、長野県・松代に生まれ、望遠鏡・写真・電信機・火薬・ガラス加工・冶金(やきん・金属加工)・書画など幅広く長じていた。開国・公武合体を唱えて全国で活躍し、吉田松蔭や勝海舟など数千の門弟に学問を教えた。元治1年(1864)年7月11日、京都三条木屋町(寓居近く)通りを馬に乗っていたところ、攘夷派の2人の刺客に襲われ落命した。明治22年、正四位を贈られた。大村益次郎は1869年、遭難する。















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