◆◆新撰組の部屋 史跡をたどる

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■島原・角屋(すみや)下京区西新屋敷 2009.2

角屋は江戸時代に繁栄した旧花街・島原を代表する揚屋(料亭)で、明治時代にお茶屋業に編入されたあとも、昭和60年(1985年)まで営業が続けられた。

島原は、我が国最初の官許の花街で、当初は二条柳馬場に開かれ、その後、六条三筋町に移転し、更に寛永18年(1641)にこの地に移された。正式な地名は「西新屋敷」というが、急な移転騒動が当時の九州で起こった「島原の乱」に似ていたことから「島原」と呼ばれるようになった。

長州藩志士・久坂玄瑞密議の角屋


久坂玄瑞は1863年8月18日の政変以前にこの角屋で密議を交わしていたという。島原の女の人たちは、新撰組と、長州藩が鉢合わせにならないようにしていたという。
(写真;2007.10 時代祭・七卿落ち姿の久坂玄瑞)
















★芹沢鴨泥酔の地 

1863年9月18日、芹沢鴨は角屋で泥酔した状態で、屯所の八木邸に戻った。その夜寝込みを襲われ、土方、沖田に斬殺される。この角屋には近藤勇も出入りしていたという。
 












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