西本願寺・・広さと豊かさ
京都市下京区堀川通花屋町下る 2010.8
浄土真宗本願寺派の本山。鎌倉時代、親鸞上人によって開かれた。戦国時代、顕如上人が率いる本願寺派は信長と対立していたが、天正8年(1580)和議を結んだ。
この時、信長との和睦に賛成した顕如上人の三男・准如(後の西本願寺)と、徹底抗戦を唱える顕如上人の長男・教如上人(後の東本願寺)との間に溝ができた。これが東西分裂の原因となった。
大坂石山本願寺を経て、紀伊に移り、和泉貝塚を経て、天正19年(1591)秀吉より寺域を受け京都に戻る。その後、顕如上人の長男・教如上人は、後陽成天皇の勅許のもと、慶長7年(1602)家康から烏丸7条の広大な寺域を寄進される。この時以来、本願寺は東西に分かれたという。堀川七条に顕如上人の三男・准如が率いる西本願寺が、烏丸七条(西本願寺の東)に顕如上人の長男・教如上人の率いる東本願寺(大谷派本願寺)ができた。
●阿弥陀堂門 ●御影(ごえい)堂門
2011年4月9日、親鸞上人の750回大遠忌を迎えるため、法要に合わせて大規模な堂宇の修復工事が行われていたが、今年の4月完成した。たくさんの国宝や重文を有する。
●阿弥陀堂(本堂・重文)・・阿弥陀如来を祀る。1760年に再建された。畳285枚、800人参拝できる。
●親鸞の像を祀る御影堂(ごえいどう・重文、写真右)・・1636年建立
●阿弥陀堂と御影堂を結ぶ巨大な回廊
回廊からの眺めも良い。御影堂内は畳が441枚敷かれていて、1200名の人が参拝できる広さでゆったりしていてる。巨大な227本の柱にも圧倒される。瓦屋根は11万5千枚とその壮大さに圧倒される。
●鐘楼(重文)
1618年に建立される。豪華な装飾が施されている珍しい鐘楼。
●太鼓楼 ●蓮華の巨大な水鉢
●休憩所・・当寺の豊かさはここにも。参拝客がゆったりくつろげる畳敷の長いすや、洗面の施設などが充実している。
●経堂
●唐門(国宝)・・書院へ続く豪華な彫刻が施された四脚門の正門。日暮らしの門ともいわれるほど豪華で美しい。伏見城の遺構で桃山時代の風格が漂う
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