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勝林院・・大原問答の寺 

京都市左京区大原勝林院町  2010.6

来迎院を開いた円仁が天台声明の道場として開いた寺。天台宗と対峙する浄土宗の開祖・法然上人(黒谷上人)を招き、浄土念仏について論議を交わした大原問答の寺として有名。この大原問答が行われたのが文治2年(1186)、法然53歳の時である。

この後、20年余りを経てから元久元年(1204)、比叡山の僧徒が法然(71歳)の唱える専修念仏の停止を求める。法然は比叡山に意見書を送るが、興福寺より念仏停止の命を受ける。1207年に法然(74歳)は讃岐に流される。10ヶ月後赦免され、78歳で京に戻り翌年亡くなる・・法然は最期まで波乱に富んだ一生を送った・・・。

●本堂   ●問答を行ったときの法然の腰掛け石














■熊谷直美・・鉈捨籔跡(なたすてやぶあと)・腰掛石

・・・「勝林院」手前の50mの地点

文治2年(1186)、大原問答が行われた「勝林院」手前の50mの所に、鉈捨籔跡(なたすてやぶあと)の碑があります。法然上人大原問答の折、その弟子であった熊谷直美(なおざね・蓮生坊)は、師の法然上人がもし問答に敗れたならば法敵を討たん。」との目的で袖に鉈をしのばせていましたが、法然に諭されて、鉈をこの辺りの籔に捨てたと伝わる。


















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