万葉・奈良編            

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万葉・奈良bR0

★崇道(すどう)神社・・崇道天皇(早良親王)を祀る

★小野妹子の子・小野毛人(えみし)の墓所

京都市
左京区上高野西明寺山町34  2011.8

■崇道神社

奈良末期〜平安初期の皇族、桓武天皇の実弟・早良親王を祀る。延暦4年(785)に起こった藤原種嗣暗殺事件の首謀として逮捕され、乙訓寺に幽閉された後、淡路島に流される途中、無実を主張して絶食死した。

その後桓武天皇の近親者の死が続き、都に疫病も流行したため、早良親王の祟りと噂され、その怨霊を鎮める為に、延暦19年(800)に崇道天皇の追号を贈り、墓を現在の八島陵へ改葬した。

京都市内に上京区・上御霊神社、中京区・下御霊神社、伏見区・藤森神社に崇道天皇が祀られているが、単独で祀られているのはこの神社だけである。


●第一鳥居・・長い参道を進む、第二鳥居が小さく見える












●第三鳥居   ●拝殿      ●本殿












  
■小野毛人(えみし)の墓

天武朝の官僚であった小野毛人(えみし)は、最初の遣隋使小野妹子の子で、天武6年(677)に没したとされる。

慶長18年(1613)、
崇道神社境内の上高野一帯を見渡す山腹の墓から鋳銅製の墓誌が発見され、この墓が小野毛人を埋葬したものであることが明らかになった。大正3年(1914)、墓誌は国宝に指定され、現在京都国立博物館に保管されている。
この付近(上高野三宅町)に、父である小野妹子創建の三宅八幡宮があることからしても、小野毛人の墓がここにあってもおかしくはない。


大正3年の墓の調査で、板石で作られた石室は長さ2.5m、巾・高さ1mぐらいと判明。発見当時は封土がされていたという。この墓は市内に残る奈良時代前期の数少ない遺跡で、当時の墓制を知る上で貴重なものであることから、昭和59年(1961)6月1日、京都市指定史跡となった。


●墓誌・・、小野毛人の子の小野毛野が持統町朝に作製したと伝わる

●瀧の横に墓所の案内の石碑がある。墓所はこの瀧の背後の山の中腹にある。

















●第一鳥居横の墓所の案内の石碑 

●小野神社・・小野妹子・毛人と小野一族を祀る















                              

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