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★亀岡城跡

明智光秀が築城した居城・この城から本能寺へ  

京都府亀岡市古世町 (
2006.8.27)



天正5年(1577)、信長の命により光秀が築いた城。天正10年(1582)、羽柴秀吉の備中高松城攻めの援軍のため、6月1日にこの城を出発したが、進路を本能寺に進め、6月2日早朝信長を倒した。この城で光秀は信長追討の秘策を悶々と練っていたのでしょう。そんな折りに、信長が手薄で本能寺入りしたことを知り、光秀にとって千載一遇のチャンスが到来した。しかし、山崎合戦で光秀が秀吉に敗れてからは、羽柴秀勝、小早川秀秋、前田玄以、石田三成・・と城主・城代が次々に変わりました。(写真;南郷公園にある城のシャチホコ)

●南郷公園
JR亀岡駅の南徒歩2分ぐらいのところにある公園で、城があった辺りです。城の北側の堀には中島とよばれるこんもりとした山があります。














●堀にはたくさんのハスがあります。アヒルもいます。















●明智光秀公築城亀山城址の碑
以前は「亀山城」だったが、三重県亀山城と区別するため「亀岡城」となりました。

●天守閣の絵
明治のはじめまでは、絵のような五層の天守閣がありました。小早川秀秋の時代に五層になったと伝えられています。




















●石垣の跡

公園の堀に向かって左に進み、堀の切れた道を登り右手に行くとかつての本丸跡や石垣が見られます。明治10年に城が壊されました。今は宗教団体の敷地になっています。


















★★丹波は光秀直轄のエリア★★

「時は今 天(あめ)が下しる 五月なり」

☆谷性寺(こくしょうじ・桔梗寺)

亀岡市の「ききょうの里」には、光秀の首塚がある「谷性寺(こくしょうじ・・明智家は桔梗紋だったので桔梗寺ともいう)」があります。光秀は本能寺に向かう前、この寺の不動明王に「一殺多生(いっさつたしょう)の劔(つるぎ)を授け給え」と懇願し本懐を遂げたといわれています。(写真左から2枚目;亀岡市広報誌7月号より)

★福知山城

亀岡市の西にある福知山市の福知山城も光秀が築城した城です。亀岡城築城の2年後の天正7年(1579)に建てられました。光秀は亀岡城を居城にしていたので福知山城は甥の明智秀満が城代になっていました。

















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