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史跡・ゆかりの祭り

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大阪城2.
大阪市中央区 2006.5.29

●桜門(さくらもん)・・構造・高麗門本瓦葺

豊臣時代にも本丸は桜門と呼ばれていました。桜の馬場という地名がこの辺りですので桜並木があったと思われます。桜門は、徳川時代の本丸再築の寛永3年(1626年)に築かれましたが、明治維新の城中大火(1868)で焼失しました。現在のものはその後、明治20年(1887)に再築されたものです。門の両側は昭和44年(1969)、桜門修理の際、再築されました。

●銀明水(ぎんめいすい)井戸の井筒

本丸御殿下台所裏にあった銀明水井戸の井筒を昭和6年(1931)の天守閣再建にあたって、敷石とともにそのままこの地に移して飲料水井筒としたもので、水は水道水を使用しています。本丸内の金明水に対してこの名が付けられたものと推定されています。


●桜門・桝形の巨石・・蛸石(たこいし)・・城内第1位の巨石

本丸の正門を守る重要な桝形で、特に立派な巨石が用いられています。大手口と同様、多聞櫓があったが明治元年(1868年)の城中大火の際、焼失しました。この枡形の築造は寛永元年(1624)に岡山藩主池田忠雄が担当し備前(岡山)の良質な花崗岩が用いられています。蛸石は約36畳敷き(60平方m)、130トンと推定されています。

















●天守閣
ひときわ目立つ大阪城のシンボルです。秀吉時代の天守閣は5層8階で、現在の51mの天守閣より高いものだったそうです。

●六番櫓(ろくばんやぐら)・・南外堀に面しています


















★大阪城近くの史跡

●難波宮跡(なにわのみやあと)・・大阪市中央区法円坂

ふたつの時代(前期・後期)に宮殿がありました。前期難波宮は「大化改新」後、650年から造営された難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)とされています。後期難波宮は726年から聖武天皇が復興した難波宮をさします。793年ごろ難波宮が廃止されたようです。現在9万平方mが国の史跡となっています。
















●復元倉庫・・高床式












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