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大阪城1.・・・豊臣の城・徳川の城 

大阪市中央区 2006.5.29

写真;大手門内側の秀吉の兜と千成ひょうたん・・花による造形



大阪城はもともと石山本願寺の拠点があった場所です。天正8年(1580)、信長によって本願寺は陥落しました。その後賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦で柴田勝家を滅ぼし権力を手中におさめた秀吉によって、天正11年(1583)大坂城築城が開始され、天正13年(1585)に完成しました。
慶長3年(1598)年秀吉が伏見城で亡くなった後、豊臣と徳川との間で関ヶ原の戦いや大坂の陣と大きな戦いがありました。1614年、大坂冬の陣では、家康の和睦政策に豊臣方がひっかかり城の堀が埋められて裸城となってしまいました。翌年の1615年5月の冬の陣では落城・焼失し秀頼、淀君親子が悲劇的な最期を迎えました。

その後、徳川秀忠により1620年から城が築かれ1629年に完成します。1665年、落雷で焼失。その後再築されますが明治維新(1868)の城中大火で焼失。

昭和
6年(1931)年、鉄筋コンクリートとして再建される。平成9年(1997)の大改修で美しく生まれ変わりました。



★大阪城「花彩祭」・・・花と緑の祭典・第23回全国都市緑化フェア

●ちょうど緑化フェアの祭典が行われていました。城のあちらこちらにきれいなお花の展示がありました。
祭典の門は「千成ひょうたん」が飾られています。大阪城といえば徳川でなく、やはり「豊臣秀吉のシンボル」なのですね。

●乾櫓(いぬいやぐら) 重文

1620年、徳川時代に建てられた千貫櫓とともに、城内最古の建築。西外堀に面しています。

















●かわいらしい「ロードトレイン」
大手門から桜門の間を運行しています。料金は片道200円。

●大手門付近の多聞櫓(たもんやぐら) 重文
江戸幕府後期の1848年に再建されました。

















●大手門前の花壇 ●大手門  

●大手門桝形(ますがた)の巨石
大手門桝形は大坂城の正門の防御施設として、りっぱな石垣で築かれています。この見付け石は29畳分、推定重量108t。徳川時代、瀬戸内海の島から運ばれてきたもの。

●ペチュニアで作られた花の柱

















●西の丸ゲートの付近の巨大なみつばちがかわいいです。アンデルセンの形に作られたお花もきれいです。
















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