◆◆戦国武将の館V ◆前田氏◆明智光秀◆足利氏・・史跡

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★応仁の乱ゆかりの地

●山名宗全邸跡
  (2006.5.19) 
上京区堀川通上立売下る山名町

宗全(1404年に生まれる)は室町時代の守護大名。応仁の乱の前から、幕府の主導権をめぐって管領の細川勝元と対立していた。畠山氏の後継者問題で応仁の乱が勃発。西軍の総大将となった。応仁の乱の最中、1473年病死。山名氏は宗全の死と応仁の乱が原因で衰退する。山名氏は鎌倉時代は源頼朝の家臣だった。応仁の乱以降の山名氏・・信長の家臣となり、秀吉に屈服して家臣となり、関ヶ原では家康方について所領を確保し、明治時代まで続いた由緒ある家系。

現在、山名町という名で残っています。この邸宅は敵の東軍までわずか500mしか離れていなかったそうです。

この碑は、2003年頃マンションの建設とともに建てられた新しい碑です。それ以前の碑は旧家と旧家の間にある、石に碑文が刻まれた風情のあるものだったようです。ここは太い堀川通りに面しています。
町の景観も碑も刻々と変化しているようです。
















●百々橋(どどばし)跡・・応仁の乱の激戦地 

上京区小川(こかわ)通寺の内


応仁の乱ではここにあった百々橋をはさんで両軍が対峙し、熾烈な戦闘が繰り広げられたそうです。山名宗全邸の北東でわずか200mほどしか離れていません。昭和38年まで百々橋が架かっていたそうです。現在はその遺構の礎石がのこっています。この近辺には百々町(どどちょう)があり当時の地名がのこっています。


















戦乱に巻き込まれた「宝鏡寺」(百々御所・どどごしょ)

この百々橋(どどばし)跡の並びに「宝鏡寺」があります。歴代の皇女によって継がれた尼寺となっています。
地名から「百々御所(どどごしょ)」という御所号のあるお寺です。応仁の乱の激戦地だったところなので、この頃焼失しています。















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