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★妙心寺@ 右京区花園妙心寺 (2006.5.13)


●明智光秀・春日局ゆかりの寺 

●明智風呂のある寺・・公衆浴場の先駆けとなる 

●日本で最大の禅宗寺


臨済宗妙心寺の本山(禅宗妙心寺派の総本山)。建武4年(1337)、花園法皇が自らの離宮を禅刹に改め、関山慧玄を開山として迎えたのが始まり。その後、足利義満の圧迫や応仁の乱などで一時中絶するが、細川勝元の支援を受けて復興。次々と名僧を輩出したため、武士層が帰依し大いに隆盛した。広大な山内に46の塔頭寺院があり、圧巻です。


●北総門 ●北総門にある碑と碑文・・「佐久間象山先生墓当山内にあります」 

●ひときわ目立つ朱色の三門(重文・山内の南側にあります)















●庫裡(重文) ●経蔵(重文) ●仏殿(重文) ●唐門
















●袴腰の鐘楼・・法堂のそばにあります。

●法堂(重文)・・狩野探幽の天井画・雲龍図(重文)があります

















浴室(重文)・・明智風呂

公衆浴場はお寺の施浴から始まったと言われています。明智光秀は京都を離れる時に、自分の運命を予感してか叔父の密宗和尚を訪ね、お金を渡した。天正10年(1582)6月2日、「本能寺の変」で信長を討った光秀は反撃に遭い、12日後の6月14日に亡くなる。5年後の天正15年(1587)、密宗和尚は甥光秀の供養のために光秀のお金で浴室を建て、
命日である6月14日に人々に施浴して菩提を弔ったそうです。お寺の施浴が公衆浴場の前身といわれています。この浴室は明暦2年(1656)に改装され蒸し風呂となりました。


春日局が建立した鐘楼
三門と仏殿のそばにある鐘は春日局が建立した伝えられています。入浴時間はこの鐘で知らせたという。

☆春日局と光秀
春日局(徳川3代将軍家光の乳母)の、斉藤利三(としみつ)は明智光秀の家臣でした。天正7年(1579)、お福(春日局)が生まれます。天正10年(1582)、4才の時「本能寺の変」が勃発。その直後、「山崎合戦」に父が出陣して敗れ、逆賊となった父は死骸となったまま京都で磔(はりつけ)される。4才のお福にこの時の悲惨な光景が一生、脳裏に焼き付けられることになる。

☆春日局と臨済宗妙心寺
春日局は、お福様と呼ばれていた幼少期、黒井城の下館で臨済宗妙心寺派の興禅寺で育ちます。ここにある
妙心寺の塔頭「麟祥院 (りんしょういん)」は、開祖が春日局になっています。この寺は大通院の隣りで非公開になっています。


☆★★☆★山内に46もある塔頭(たっちゅう)群

●塔頭 霊雲院(写真左)・・ふだんは非公開ですが月に一度、法話会があり一般の人も聴講できます。

●塔頭 退蔵院・・通年公開されています。枯山水の庭園が好評です。















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