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史跡・ゆかりの祭り

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★秀吉ゆかり・・北野天満宮1.・・大茶湯之碑・太閤井戸 

上京区御前通今出川上る馬喰町・北野天満宮
 
2006.5.9















■北野大茶湯之址碑(きたのおおちゃゆのあとひ)

北野天満宮境内の参道右手、駐車場付近に碑があります


●以前から行われていた茶会

秀吉は大茶会の2年前、1585年10月7日にも茶会を催し、正親天皇らを招いて関白に任命された御礼に御茶を献じています。茶会の場所は、北野神社の北方の紫野(むらさきの・北区)などでも行われていたようです。

●「北野大茶会」・・わずか2日で中止、利休切腹はこの4年後

天正15年(1587)10月1日、豊臣秀吉は京都北野神社の森と松原で大規模な茶会を催しました。その規模は歴史にのこるほど豪華なものだったそうです。

北野大茶会は、夏の頃から洛中や畿内全域に一般の人々にも知らされ、身分の上下にかかわらず参加者を募ったようです。茶亭(茶屋)800、主客5000人と大勢の人が全国から集まりました。秀吉も自ら客をもてなす亭主として、大勢の人に茶を点ててふるまったそうです。この茶会は肥後で石川五右衛門率いる「お平講の一揆」が勃発したため、10日間の予定がわずか2日で中止になりました。

■大茶会の意義

@関白太政大臣となった秀吉の権力を全国に知らしめる 

A聚楽第造営の完成を祝う 

B大名や商人、茶人に茶道具を売り、 千利休を経て弟の豊臣秀長の財力となす



■太閤井戸

●大茶会で使われた「太閤井戸」が天満宮の駐車場にあります。以前は鉄柵がなかったようですが、うっかり車をぶつけてしまう人がいるためか、柵が設けられ「車衝突注意」や「順路」の札が赤い矢印で記され景観がいまいちです。この井戸から楼門が見えます。北野大茶湯址の碑もこの井戸の近くにあります。
















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