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★真如堂 

 
2006.12.17


春日局の父・斎藤利三(としみつ)とその友人の墓所

・・山崎合戦処刑の利三の遺体を奪還


京都市左京区浄土寺真如町


「鈴声山真正(しんしょう)極楽寺」という天台宗の寺。永観2年(984)戒算上人が開山。安倍晴明が命を蘇生した寺とも伝わる。この寺には晴明神社と同じ五芒星の秘印がある。これは晴明が亡くなった時、晴明の念持仏の不動明王が閻魔大王に進言して命を救うように頼むと大王はこの秘印を与えて晴明を蘇生させたという伝説がある。この秘印を持つと死を免れ極楽に生まれるという。寺宝には平安末期の法華経6巻(国宝)、室町時代の真如堂縁起3巻(重文)、本尊阿弥陀如来立像(うなずきの阿弥陀・重文)があります。紅葉の名所になっています。

●美しい朱色の正門 ●三重塔 

●本堂・・天下三如来のひとつ、「うなずきの阿弥陀(頭振りの阿弥陀)」が安置されています。

















●阿弥陀如来坐像・・木食正禅(上人の名が蓮華の台座に彫られています)

●春日局の父・斎藤利三(としみつ)・海北友松(かいほうゆうしょう)・東陽坊長盛(とうようぼうちょうせい)の墓所

斎藤利三(1534〜1582)の墓の横には、海北友松・東陽坊長盛の墓があります。天正10年(1582)6月2日の「本能寺の変」の明智光秀の家臣だった斎藤利三は、6月13日に山崎合戦で秀吉に敗北します。6月17日に六条河原で処刑されます(この父の処刑の光景を幼いお福・後の春日局も見ていたという話もあります)。利三が処刑されたのは光秀の重臣で光秀の従弟だったからです。利三は本能寺の謀反を進めたとも、大反対したという説もあるようです。

◎3人の墓が並んでいる理由・・斎藤利三の遺体を奪い去った二人が海北友松と東陽坊長盛(真如堂住職)・・一歩間違えると自分たちも処刑になる危険性が・・

『海北家(かいほうけ)由緒集』によると、処刑後の遺体を奪い去ったのは処刑のあった6月17日の夜とあります。海北友松(後に有名な絵師となる)は利三の親友にあたり、東陽坊長盛は真如堂の住職(真如堂長盛)で遺体を奪う時、経を唱えて気をそらすために協力したという。利三の遺体はこの真如堂に葬られ、後に天寿を全うした二人も利三の隣りに葬られたという。この墓は篤き友情の墓と言えます。境内には春日局お手植えの桜もあります。

















斎藤利三の墓(左)と、海北友松(右)の墓













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