◆◆平安ゾーンU ◆平安時代の史跡・人々(藤原道長、源義経、後白河法皇etc)

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★崇徳天皇御廟 

京都市東山区東山通安井  2010.10


祇園の安井金比羅宮の近くにあります。祇園の花見小路や歌舞練場にも近く、賑やかなスポットに囲まれたところにひっそり御廟があります。崇徳上皇は保元の乱(1156年)で後白河院に敗れ讃岐に配流になって8年後の、長寛2年(1164)・46才で非業の死を遂げました。この御廟は崇徳天皇を慰霊するための廟です。

この御廟の御由緒には二つの説があります。
1.後白河院建立説

後白河院が元暦元年(1184)、崇徳上皇の怨霊を慰めるために鴨川の東(現在の京都大学医学部の辺り)に建てた粟田宮という神社をこの地に移した。

2.崇徳上皇の寵妃・阿波内侍自宅に建立説

崇徳上皇の寵妃・阿波内侍(烏丸殿)の屋敷がこの地にあり、配流の地より寵妃を憐れに思い召されて、上皇から寵妃に下し賜れた御尊影を、阿波内侍は大切にしていました。上皇が崩御した後、阿波内侍は尼(仏種)となり、この地の一塚に御遺髪を埋め、廟堂を築き御下賜になった御自筆の宸影を観音堂に泰安して、朝夕の勤行を怠りませんでした・・この廟堂こそ祇園のこの地に建つもの。

◆この御廟は応仁の乱(1467年)に焼亡、荒廃する。明応6年(1497)、光明院(安井金比羅の前身)の住持・幸盛上人が、光明院内に御影堂を再興し、上皇の霊をお慰めしました。後、元禄8年(1695)光明院は安井門跡の寺・蓮華光院となり、その寺が大覚寺に吸収されたあと、安井金比羅宮となり崇徳天皇が祀られています。






★安井金比羅宮  東山区東大路松原下る下弁天町    2010.3 


■安井金比羅宮は、崇徳天皇・大物主神・源頼政を祭神とする。
















祇園に近く、桜が見頃である。
















■綱敷天満宮・・洛陽天満宮二十五社の拝所となっている
















菅原道真公や牛の絵馬が掲げられています













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