万葉・奈良編       

           

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★万葉・奈良シリーズ15 ◆入鹿神社  

奈良県橿原市小綱町・・近鉄大和八木駅から徒歩10分
(2005.12.5)



●この神社を探すのに30分以上かかりました。タクシーが田んぼのあぜ道で脱輪しそうになりました


★☆「大化改新」の入鹿を祀る神社

飛鳥板葺宮大極殿(あすかいたぶきのみやだいごくでん)での惨劇・・
事件は会議室でなく、大極殿の現場で起きた!

皇極4年(645)、6月12日のこと。高句麗・百済・新羅三国の使者が、貢ぎ物をささげるための文書をたてまつる儀式が行われていたときのこと・・この儀式は入鹿を誘い出すために仕組まれた儀式でした。

当日、入鹿を斬る役目は、佐伯子麻呂(サエキノコマロ)と葛城稚犬養網田(カツラギノワカイイヌカイアミダ・・
ずいぶん長い名前ですね)の役目だったそうです。
蘇我石川麻呂(ソガノイシカワマロ)が、三国からたてまつる文書を天皇の前で読み上げてる間に、二人が入鹿に斬りつける予定でしたが、予定は未定、気後れした二人は石川麻呂が読み終わろうとするのになかなか斬りつけません。
そこで大刀をふりあげ入鹿に斬りつけたのは、20才の中大兄皇子でした。入鹿の頭めがけてふりおろされ、入鹿は血まみれで、玉座の前へころがりこんだそうです。子麻呂たちは、我に返り、入鹿の足に斬りつけたそうです。
計画を知らない52才の皇極帝は目の前の惨劇に絶句したそうです。

この翌日入鹿の父、蝦夷は自宅に火を放ち自害しました。こうして入鹿親子の野望は見事に崩れ去ったのであります・・探すのに苦労しましたが来て良かったです


●本殿

春日造りで江戸時代初期に建てられた・・・以下看板の記載


橿原市指定文化財 建造物 「入鹿神社本殿」 昭和五十五年三月十七日指定

当社は廃普賢寺(はいふけんじ)東南部の一段高い所に西に向かって建ち、もとは同寺の鎮守社(ちんじゅのやしろ)であったと伝えられる。祭神は、素戔鳴尊(すさのおのみこと)と入鹿大臣(いるかおおおみ)の両柱を合祀している。
本殿は一間社春日造で身舎は丸柱、柱上に三斗を組み、背面を除く頭貫桁間(はしらぬきけたま)に中世風の面影を残す蟇股を置き、屋根は檜皮葺で棟は箱棟に千木かつお木を取り付けた江戸初期位の建物である。
尚、近年老朽化が進み昭和六十一年度に解体修理が行われた。
  昭和六十二年六月 橿原市教育委員会
























●本堂の大日堂

室町時代に建立された建物で、鎌倉時代作の本尊・大日如来像と共に国の重要文化財に指定されている。













●この神社は車が入れない細い道に面していて、近くには民家が密集しています。神社はひっそりとして落ち着いたたたずまいです。





     

           

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