万葉・奈良編
(2005.10.28)
★万葉・奈良シリーズ6
◆海龍王寺(かいりゅうおうじ)
◆不退寺(ふたいじ)
◆興福院(こんぶいん)
◆聖武天皇陵
Q 「空と海」の安全を祈願した僧は?・・空海
◆海龍王寺(かいりゅうおうじ) 奈良市法華寺北町
平城京の北東隅にあるため隅寺(すみでら)と呼ばれた。藤原不比等の邸跡に、天平3年(731年)、光明皇后の発願により、唐から帰国した玄ム(げんぼう)を開基として創建された。遣唐使たちの渡航の安全を願って建てられたそうです。聖武天皇・光明皇后もこのお寺で遣唐使の安全を祈願したとされています。
養老元年(717年)、遣唐使として唐に渡った、玄ム(げんぼう)が帰路、嵐で遭難しかけたとき、海龍王経を唱えて助かったそうです。貴重な5000余巻の経論を持ち帰り、わが国の仏教学に大きく貢献しました。その功績が認められ、僧正に任ぜられ、この寺を創建するに至ったそうです。お経の名前から「海龍王寺」という寺号になったそうです。聖武天皇の母・藤原宮子も住んでいたと伝えられています。
弘法大師・空海も遣唐使として出発する前に、渡海安全祈願に、このお寺に参龍し、写経して行ったそうです。今では、旅行・留学・空・海の安全を祈願するお寺として有名です。
●古い土塀が美しい(写真)
●本堂(写真)
●西金堂(写真・重文)・・天平時代の建物を再現した。中央にある五重小塔は細部が薬師寺・三重塔に似ていて国宝。
●この他に鎌倉時代の経蔵もあります。
●「佐保路の三観音」展のチラシ・・「法華寺の十一面観世音菩薩立像(国宝)」・「海龍王寺の十一面観世音菩薩立像(重文)・・写真」・「不退寺の聖観世音菩薩立像(重文)」の三体が、ただいま公開中です。
◆不退寺(ふたいじ)・・業平寺(なりひらでら) 奈良市法蓮町
平城(へいぜい)天皇が退位の後、余生を送られた萱(かや)御所の跡だそうです。承和14年(847)、在原業平が自作の仏像を祀って建立したと伝えられています。別名「業平寺」と言われています。
●南大門・・・・室町期に建てられ、丹塗りの四脚門は風格があり重文。
●ちょうど秋期秘宝特別展「在原業平画像」展が行われていました。
●本堂・・・室町期に建てられた。貴族の邸宅を思わせる単層寄せ棟造りで重文。聖観音像と、五大明王像が安置されていて共に、業平作と伝えられている。カキツバタ・業平椿・萩などが有名。本堂前に萩がうっすら残っていました。
●石棺(5世紀)・・舟型割竹くり貫き石棺(2.7m)
石棺って初めて生で見たような気がします。庫裡の庭にあるので、大きなつくばいのような風情があります。
石材は春日砥(砂岩)、心ない草刈りの人たちがこの石棺で鎌を研いだ痕が多数残っています。付近には古墳がたくさんあるので、そこから運ばれてきたとされています。
◆興福院(こんぶいん) 奈良市法蓮町
大門(写真)
浄土宗知恩院派の尼寺。創建は天平年間で「天下の興福を祈るべし」と号を「興福院」と改号したのは江戸時代だそうです。寺の参道は家綱が作らせたという。東大寺光慶上人(東大寺で今月の10月、300年祭があったばかり)遺愛の茶室などが復元されているそうです。見学は予約制になっているそうです。
◆聖武天皇陵 奈良市法蓮町
興福院の東、佐保路と佐保川が交差する北側に、第45代天皇、聖武天皇陵(佐保山南陵)があります。この右奥に光明皇后陵(佐保山東陵)があります。
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