万葉・奈良編
(2005.10.15)
★万葉・奈良シリーズ1・・いざ奈良県へ・平城宮跡@(朱雀門・宮内省復元建物)
奈良市左紀町
◇いざ奈良県へ・・古代へタイムスリップ
涼しくなったので、かつてから行きたいと思っていた奈良県に短期間ですが、行くことができました。奈良県は雅の京都とは一風変わった、古代の香りがします。(写真は近鉄特急と駅のポスター)
◇平城京
東西約4.3km、南北約5.2km(先月の調査発表で南に400m長いことが判明されているのでその分が含まれています)に広がる平城京は、和銅3年(710)年、元明天皇が藤原京から遷都して以来、桓武天皇の長岡京遷都までの74年に渡り、日本の首都として栄え、「咲く花の匂うがごとく」と讃えられました。唐の都長安をモデルに造られていて、皇居のある平城宮から南に幅70mのメインストリートの朱雀大路が延び、道路を碁盤の目のように整備しました。朱雀大路の東を左京、西を右京と呼び、寺院や庶民の家、市などが立ち並んでいました。当時の人口は10万とも20万とも言われています。この時期は遣唐使と共に日本に来た外国人もいたそうです。
◇平城宮跡
●朱雀門(写真)・・平成7年から公開・・朱雀門の前では、天皇以下、都の人々が集まり、恋の歌を掛け合って楽しむというイベントもあったそうです。
平城京の中心となる平城宮は、昭和30年以来続けられた発掘調査の結果、東西1.3q、南北1kmの広大な宮で、周囲は高さ5mの築地塀に囲まれ、12ヶ所に宮城門があったことがわかりました。甲子園球場30個分の広大な敷地の史跡公園に整備されています。
現在この平城宮跡には、朱雀門・東院庭園や内裏や宮殿、役所を始め、政治と儀式をを行う大極殿・朝堂院などがありました。園内の資料館では出土遺物や復元模型の展示、遺構展示館では発掘状況がそのまま保存されています。
●平城宮跡マップ
●遺構跡に木が整備されて植えられています。ツゲは建物の柱の跡を表しています
●看板や標識も貴重品です。ここにしかない標識です。第一次大極殿は大規模な復元工事中で、2010年に完成予定です。完成が今から楽しみです。