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2005.8.26
★相国寺(しょうこくじ)@ 
上京区今出川通烏丸

●写真;総門、境内がとても広いです。

☆足利義満創建・・邸宅のすぐそばに、建てられる・・花の御所建設の6年後に寺が建てられた

☆応仁の乱激戦地1.・・相国寺の戦い

・・東軍16万(足利義政・細川氏率いる官軍)と西軍11万(畠山義就・山名宗全)が激突

臨済宗相国寺派の大本山。足利義満が創建した、京五山第二位の名刹(めいさつ)で、正しくは、萬年山相國承天禅寺(まんねんざんしょうこくてんぜんじ)と言います。末寺に金閣寺・銀閣寺があります。現在、三門や仏殿の址が残っています。至徳元年(1384)仏殿が落慶してから何回か被災と復興を繰り返したそうです。、最後に天明8年(1788)の大火で法堂(はっとう)や勅使門(ちょくしもん)を残して中心伽藍も焼けてしまったそうです。


●承天閣(じょうてんかく)美術館・・・金閣寺・銀閣寺の宝物も展示されています。美術館は現在、工事中で公開されていません

●特別拝観・・・
法堂鳴龍・方丈庭園・浴室は春と秋だけ公開されています

相国寺の名前・・・「国を相(たす)ける人」から来ており、中国では宰相、日本では太政大臣の意味になります。相国寺が足利義満によって建てられたことがその所以(ゆえん)と考えられています




◇雪舟ゆかりの寺


雪舟は応永27年(1420)に岡山で生まれました。幼少の時、東福寺系の禅宗の寺である「宝福寺」(岡山)に預けられました。その後、この相国寺に移りました。それは、
天開図画楼記』に、”雪舟が岡山から京都の相国寺へ移り、時の名僧・春林周藤(しゅんりんしゅうとう)と画僧・周文(しゅうぶん)に師事した”・・・という記述があります。水墨画の神聖と呼ばれる雪舟は、このお寺で修行をしたのです。

雪舟の最初の名・等揚(とうよう)・・相国寺で与えられたそうです。「等」の字は、相国寺を拠点としていた夢想派がよく使っていたそうです。(夢想派・・南北朝時代の禅の高僧・夢想疎石の流れをくむ禅僧たち)

●相国寺の近くに同志社大学があります。

●総門(写真左上)をくぐって左手にきれいな蓮池があります。フェンスがあり中には入れません。

●境内の塀と花がきれいです




 













●鐘楼付近の色鮮やかな花がきれいでした。苔に松や檜がぽつぽつあり、明るい苔寺・・といった風情です。















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