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(2005.6.25)

樋口一葉の旧居跡

文京区本郷 菊坂町



樋口一葉(明治5・1872年〜明治29・1896年、享年24才)

本名は樋口奈津。「一葉」と文筆活動で名乗るようになったのは、19才の頃からだそうです。平成16年11月、新5千円札のデザインとなった一葉のゆかりの地、本郷菊坂町を訪ねてみました。一葉は父の死後、兄の家に身を寄せていましたが、母と兄の折り合いが悪く、この菊坂に引っ越してきたそうです。


菊坂町にあった菊坂コロッケ。コロッケは小型です。1個90円です。コロッケやさんで200円の文人マップをゲットしました。

菊坂は本当に坂になっていました。





一葉の顔がある料理店「かんじき」のウインドウ 露地には下町のような風情があります















◆樋口一葉の菊坂旧居跡・一葉の井戸・一葉文学発祥の地(本郷4−32−31)

細い路地の突き当たりに旧居跡と井戸がありました。18才〜21才(1890〜1893)まで、家賃を払って母・妹と貧しい暮らしをしていました。他人の洗濯や針仕事をしながら、生計を立てていました。この井戸の水を汲んで洗濯していたようです。井戸のスケッチは案内板にあったもので、当時の様子を描いたものだそうです。

厳しい生活の中で、古歌や古典の研究をして、上野の図書館に通い続けたそうです。20才の時、「武蔵野」創刊号に小説「闇桜」を発表しました。この菊坂時代に一葉は文壇デビューしたのです。






























樋口一葉のその後・・
短くもはかない人生】

●一葉の家


1893年(21才)7月、菊坂の家を出て吉原遊郭近くの下谷龍泉寺近くに住み、荒物雑貨・おもちゃ・菓子を売る店を始めましたが、翌年22才の時、再び本郷丸山福山町に戻り、「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」を発表。24才で肺結核で他界。終焉の地は白山通りの「紳士服のコナカ」前と言われています。日記や4千種の和歌も遺しています。



◆文人の町、本郷・・道で遇うと、文学の話しに花が咲いたま県

菊坂周辺に、かつて大勢の文人が住んでいました。
島崎藤村・石川啄木・若山牧水・尾崎紅葉・二葉亭四迷・徳田秋声・石川淳・宇野千代・坂口安吾・谷崎潤一郎・正宗白鳥・竹久夢二etc・・

◆金田一京助・春彦邸跡・・・坂の角が邸宅のあった場所です。

金田一京助(1882〜1971)・・言語学者。国語辞典の編纂をした。東大・早大などで教鞭をとる。

金田一春彦(1913〜2004)・・京助の長男、言語学者。方言の研究をした。名古屋大・東京外語大で教鞭をとる。昨年、91才で他界したばかり。親子で東大を卒業し言語学の道に進んだ。















◆宮沢賢治(1896〜1933)・・今は歯医者の建物になっています。


25才の頃、上京して菊坂に住んでいました。菜食主義で馬鈴薯と水の食事が多かったそうです。1日に300枚の割合で原稿を書いたそうです。
















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