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2005.5.16 (金沢市)

◆尾山(おやま)神社・・利家とまつを祀る神社   

初代加賀藩主・前田利家と正室おまつの方を御祭神とする神社。明治6年(1873)に歴代藩主の別邸であった金谷御殿跡のこの地に建立されました。百万石通りに面する目立つ位置にあります









   

●ひときわ目立つ神門(重要文化財)

和・漢・洋の3洋式を取り入れた異色の門として、兼六園と共に金沢市のシンボルになっています。第一層は戸室石(加賀花崗岩)を用いています。第三層は、4面5色のギヤマン張りで、ステンドグラスになっています。夕日に照らされると光輝くそうです。

屋根の細い棒はわが国最古の避雷針です。


























●拝殿前には神主さんの姿も・・

















●母衣(ほろ)を背負った前田利家公像

「母衣(ほろ)」・・「ほろ」は流れ矢を防ぐために鎧の背にかけた布のことを言います。竹串や鯨の骨など固い素材を使って骨組みにしています。戦国時代の1560年頃、騎馬武者はこれを背に戦場を駆けめぐり、連絡の役目も務めました。このような騎馬武者を母衣衆と呼びました。戦闘の時、敵の目につきやすくかえって危険でもあったそうです。




















●前田利家公金鯰尾兜・・拝殿前の松の木の近くにあります。金色の兜が見えにくいですね。

●尾山神社菊桜

兼六園の千歳橋付近にあった菊桜です。この菊桜はもと御所梅と言われ、江戸時代に京都御所から前田家に下賜されたと伝えられています。この菊桜は兼六園一という
日本一の菊桜だそうです。拝殿前にあります。
















●お松の方之像

利家の正室「まつ」は1547年、尾張の国に生まれました。12才の時に、9才年上の利家に嫁ぎ、2男9女を儲けました。お松の方は、利家と戦国乱世を共にし、加賀藩を外柔内剛にて支えました。慶長5年(1600年)、家康が前田家に嫌疑を掛けた際、53才であったお松の方は人質として、15年間江戸にて忍従に耐え、慶長19年(1614)、68才で金沢に戻りました。3年後の元和3年(1617)金沢城で71才の生涯を終えました。お松の方は正に戦国烈女の鑑であり、加賀百万石の母と敬われています。

この像は平成14年NHK大河ドラマ「利家とまつ」を記念して建てられました。そして碑文の最後には
「お松の方の徳を万古に讃える」とあります。

















●神社にある金谷御殿跡地の庭園

古代舞楽の楽器を模した、築山池泉回遊式庭園。江戸時代中期に作庭されました。書院庭園の面影も残っています。
兼六園と同じ形のことじ灯籠がここにもありました。














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