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◆加賀藩邸跡 京都市中京区木屋町通御池下る 2009.3

長州藩邸のあった、現ホテルオークラ(写真)に近く、御池通を下った高瀬川沿いにあります。

この高瀬川の西側、河原町通に至る間は、江戸時代、加賀(石川県)藩の藩邸があった。藩邸が初めて置かれたのは、江戸初期で古地図には高瀬川の橋に加賀藩の名前が残っている。藩邸には留守居役が詰め、町人の御用掛を指名して、各種の連絡事務にあたった。

加賀藩は江戸時代外様の最大の大名で、百二万7千石。前田家が代々藩主。五代前田綱紀は学問芸術を愛好して文治政治を行った英主で、東寺の古文書を整理するなど京都との関係は深く、この伝統はその後も受け継がれた。この藩邸は、こうして文化的に京都と加賀を結びつける大きな役割を果たした。
















●幕末の加賀藩

激動する政局の中で目立った活躍はなかったが、1864年の禁門の変で、長州藩方に加勢し帰京を余儀なくされる。1866年の戊辰戦争では長州軍に加勢した。長州藩の藩邸と目と鼻の先なので、佐幕派であったら、一気につぶされていた可能性が高い。














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