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◆◆戦国武将の館T. ◆武田氏◆真田氏 2005.4.17

★川中島合戦(1561.9.10)戦国絵巻@・いざ出陣じゃ!

(於、山梨県笛吹市石和町・笛吹市市役所前、笛吹川河原・2005.4) 

★総勢1000人の「武者」が勢揃い・・思わず「武者」震いしそう!
      

 

●写真左;武田二十四将の真田信綱の姿や、後部に六文銭の旗も見えます。信綱兄弟は1575年の長篠の合戦で戦死しましたが、川中島合戦では生きのびることができました。






















●笛吹市(ふえふきし)

笛吹市では毎年春に「桃の花まつり」を開催しています。川中島合戦もそのイベントの一つです。パレードや合戦は午後から行われました。戦国の武将たちは、学校の体育館で、甲冑を身につけていました。当日はよく晴れ、とても暑かったです。




1.市中パレード後、歩道橋を渡って、合戦場の河原へ向かう武田二十四将と甲州軍団























2.@「甲州軍団入陣!」笛吹川・河川敷に到着し、合戦場に入場する甲州軍団。入場が終わった後「武田軍、全軍、着座ー!」の号令が











A「上杉軍団入陣!」入場する米沢藩鉄砲隊(左)と上杉軍団・・旗は上杉の守護神・毘沙門天の「毘」、扇は大将の存在を示す馬印。入場後「上杉軍、全軍その場に着座ー!」の号令が。













全軍入場後・・儀式が行われました。

3.儀式・・遠すぎて撮影できませんでした


@献塩(けんえん)の儀・・上杉軍から武田軍に塩を送る儀式が行われました。

激しい川中島の激突から6年後の1567年、武田信玄は今川氏との同盟を破棄し、東海方面への進出を企てますが、それに怒った今川氏は北条氏と協力し、武田領内への「塩留め」を行いました。武田の領地は甲斐・信濃(現在の山梨・長野)で、海に面していなかったため塩を採ることが出来ず領民は苦しみました。この事態をみて、謙信は、越後から信濃へ塩を送り、武田氏とその領民を助けたそうです。このことから、
敵対関係にある相手でも、相手が苦しい立場にあるときには助けてあげることを「敵に塩を送る」というようになりました。


A橋の上で、古式武道・太刀の演武奉納(武田)・写真左 

B古式火縄銃の演武(上杉・米沢藩鉄砲隊)も行われました











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