◆◆戦国武将の館T. ◆武田氏◆真田氏
★川中島(かわなかじま)古戦場1.
2005.4.3 (長野市川中島、松代町の近く)
●古戦場(こせんじょう)は、霧でこせん(越せん)じょう!
●後世に語り継がれる八幡原の両雄の激しい決戦は、暁の霧の中で火蓋を切った。時に信玄41才、謙信32才、ともに天下を見据えた引くに引けない戦い
●戦場(せんじょう)ではどちらも一歩も引けませんじょう!
川中島・・
川中島は長野県の東北、千曲川と犀川の合流する三角州一帯にあります。武田信玄と上杉謙信が合戦で一騎打ちした場所とも伝えられています。
信玄・謙信一騎打ちの像(写真;上)
激戦のさなか、謙信は単騎、愛馬を手繰って、信玄本陣に切り込み、床几に腰をおろして指揮を執っていた信玄に馬上から切りつけた。信玄はとっさに持っていた軍配でこれを受け止めたそうです。諸説があり本当に一騎打ちがあったかはさだかではありません。
足かけ12年・5回に渡る川中島の戦い・・
武田信玄は天文11年(1542)から、破竹を落とす勢いで、諏訪・伊那・佐久と信濃の各豪族を次々に攻略していった。しかし最後まで抵抗を続けた村上義清には再三大敗し、信濃のほぼ全域を治めたのは、およそ10年後の天文22年(1553)だった。最後に信玄に敗れた村上義清は、越後に走って、長尾影虎(上杉謙信)に助けを求めた。これを受けて立った謙信が、この年の8月、川中島に出陣して信玄の率いる甲州軍団と一戦を交えることになった。これが第1回の川中島の合戦となった。
第1回 川中島合戦 天文22年(1553) 武田軍10000・上杉軍8000
第2回 川中島合戦 弘治元年(1555) 武田12000・上杉8000
第3回 川中島合戦 弘治3年(1557) 武田23000・上杉10000
第4回 川中島合戦(八幡原の戦い)・・最も大規模だった戦い
永禄4年(1561)・9月10日・・ 武田20000・上杉13000・・両軍が最も激しく戦ったのは、この戦いです。川中島の合戦といえば、第4回のこの戦いをさします。名場面やエピソードの多いのもこの戦いです。ドラマや映画で、このシーンが再現されています。
第5回 川中島合戦 永禄7年(1564) 小競り合いで終わったとされる
◆古戦場の八幡原の八幡神社
合戦の中心になった境内には色々な石碑や跡があります。
◆執念の石
武田・上杉両軍三万余の死闘を展開した川中島合戦の最中、作戦の失敗から緒戦の劣勢を余儀なくされ、身辺が手薄となった武田信玄めがけて切り込む上杉謙信の鋭い切っ先に、あわや信玄も八幡原の露と消えようとした間一髪、武田軍の原大隈が傍らにあった信玄の持槍、青貝の長柄を取って馬上の謙信めがけて冗一槍にと突き出した。苛立った槍は鎧の肩の上にそれ、残念なりと返す槍で謙信の鎧の肩を斜右上から力いっぱい打ったので、馬は驚き跳ね上がってその場を狂奔し去ったため、信玄は危うく虎口を免れることができた。一方謙信を取り逃がし、無念やるかたない原大隈は、傍らにあったこの石を槍で突き通したといわれる。
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