随想23. ダジャレ庭園B
『六義園(りくぎえん)』3.・・柳沢吉保ゆかりの庭園 文京区
2005.2.6
(写真;六義園・・葉ボタン、南天の寄せ植え、椿)
【ダジャレ庭園の鳥と植物】
★714.空を飛べるようになったのは40になってからだよ・・シジュウカラ
★713.君は鶯谷にいた鳥だにー・・うぐいすだにー・・ウグイス(鶯)
★712.香りが尋常でないほど素晴らしい・・ヂンチョウゲ(沈丁花)
★711.「のう、温泉に入るときカツラでもいいか」・のう温泉カツラ・・ノウセンカズラ(凌霄花)
★710.大道芸にゆかりの花と言えば・・タマスダレ
★709.きじがバットを振ってるよ・・キジバット・・キジバト
★708.次郎君の目はすてき・・め次郎・・メジロ
★707.14才まで飛ぶのを待つよ・・ジュウシマツ
★706.太田胃散を飲んだのはボクだよ・・田胃散ボク・・タイサンボク(泰山木)
★705.「ヒゲが伸びた理由は」と言った草は・・理由のヒゲ・・リュウノヒゲ
★704.「君の名前は木下藤吉郎かい?」と言った草は・・ユー木下?・・ユキノシタ
★703.妻夫木さ(つまぶき)さんが好むフキは・・ツワブキ
★702.春になると乱れる草は・・春乱・・シュンラン(根じめ用の草)
★701.温泉で三種の湯に入った花は・・サンシュユ
★700.九郎義経が好きだった竹は・・九郎チク・・クロチク(黒竹)
★699.「もうそんなにチクワばかり食べちゃダメ」と言った竹は・・もうそんなチク・・モウソウチク(孟宗竹)
★698.おいはぎに遭わないように気をつけよう・・ハギ(萩)
【庭園の歴史】2.(安土・桃山時代〜昭和)
安土・桃山時代(写真;高台寺・遺芳庵)
1569年、織田信長が二条御所を造る。庭園に泉水・築山(つきやま・小高い丘)・石を配置した。信長は名石の「藤戸・ふじと石」を運ばせて庭園造りに熱心であったとされる。
1582年、本能寺の変で信長が亡き後、豊臣秀吉がこの藤戸石を聚楽第に移した。この石は天下をとった者のシンボルとなった。この石はさらに、1598年に醍醐寺三宝院庭園に移されている。
秀吉の時代には千利休の影響で、茶室・数寄屋(すきや)造りの住宅・露地(ろじ・・露地は茶室に入るまでの道)をともなった茶庭がさかんに造られた。
江戸時代(写真;六義園・田鶴橋)
桃山時代の石組みの庭、禅宗の流れをくむ枯山水の庭、茶庭などをまとめて構成したのが、江戸時代初期に完成された『廻遊式・かいゆうしき庭園』である。芝生の庭園も登場した。江戸時代に完成度の高い庭園が出現したといえる。
将軍の庭園・・浜離宮(東京)、芝離宮(東京)、水戸城下、京都二条城二の丸、金沢兼六園etc・・
公家の庭園・・京都御所、桂離宮、修学院離宮etc・・
明治・大正・昭和
西洋の噴水がとりいれられ洋館の建設とともに、洋風庭園も造られるようになった。
【庭園の形式】・・詳しくは上記の「庭園の歴史」参照
1.枯山水(禅宗の流れをくむ石と砂の庭園)・・室町時代
2.露地(ろじ・・茶室をともなった庭園)・・桃山時代
露地は茶室に入る前の空間である。茶室に入る前はゆったりした空間が必要である。休憩所や中門、雪隠が設けられている。飛び石も置かれている。この空間の間で世俗とのつながりをプツッと断絶するのである。露地は仏界で雑念を捨てる場所である。露地の思想は「三界の火宅をはなれた寂寞・せきばくたる出世間の境」とされた。
3.廻遊式(全ての要素をとりいれた庭園・・大きな池に中洲がある・・大名庭園に多くみられる)・・江戸時代(桂離宮・文京区小石川後楽園・文京区六義(りくぎ)園etc・・)
【庭園を構成する具体物】・・人工的な庭を自然より、より自然に見せるのが作庭の極意。廻遊式庭園には全てが備わっている
1.植物・・・庭木や花、草、苔など。
2.人工の山・・・野筋(小さな山)、築山(つきやま・・小高い山)
3.人工の島・・・中島・中州・・池に陸地を配したもの
4.人工の水・・・
・人工の山から川や滝を流したもの
・遣り水は竹筒で水をひいたもの、懸樋(かけひ)
・鹿(しし)おどし
・つくばい(手水鉢・ちょうずばち)・・手、顔などを洗い清めるための鉢でつくばって使うので、つくばいとも言われている。この鉢に使われる石には、那智黒・浄土石(花崗岩)・呉呂太石などがあります。
5.庭石(置き石)
大きめの石が良いとされている。小さな石はごてごてするそうです。立て石、横石、平・ひら石、伏せ石、斜め石、捨て石(何気なく置いた石で、実際は捨てる石ではなく、空間を保つための石)などがあります。
6.歩く楽しみのための石
踏み分け石、畳石、石段、飛び石(千利休が西芳寺の洪隠山・こういんざんの通路にあった石の並び方を参考にしてはじめたもの伝えられている)
7.石灯籠
織部灯籠、雪見灯籠、春日灯籠・・鎌倉時代にさかんに灯籠が造られるようになった
8.橋梁(きょうりょう)
木橋や石橋や土橋を架けて風情を醸し出す
9.建物
・茶室・茶亭・数寄屋造り・・嵯峨上皇は数寄屋造りの嵯峨院に空海を招いて、共に飲茶(やむちゃ)を楽しんでいたという。そして上皇は必ず空海に向かって「茶菓子を食うかい?」と尋ねていたそうです。
・庭門・木戸
・垣・生け垣(風情のある囲いの空間を演出)
・庭園建築(入母屋造り、切り妻造り、茅葺きetc・・)
■写真;六義園
●池の中州(妹山いもやま 背山せやま) ●つくばい(手水鉢 ちょうずばち2つ) ●灯籠 ●太い2枚の岩の渡月橋 ●東屋
『旧岩崎家邸宅(台東区 池之端)』
三菱を創始した岩崎彌太郎(1834〜85)の邸宅。岩崎彌太郎は上記の六義園も持っていた。息子の久彌(1865〜1955)の代になって、洋館と和風住宅を中心とする私邸を建設した重要文化財に指定されている。写真は洋館と和風の庭園
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