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随想22. ダジャレ庭園A

 『六義園(りくぎえん)』2.・・柳沢吉保ゆかりの庭園 文京区  

2005.2.6 (写真;六義園・池泉庭園)

【ダジャレ庭園の植物】




★697.桐の木に、いい霧がかかってるね・・イイギリ(飯桐)

★696.「温泉に来ても 湯すら入れない」と言った梅は・・湯すらうめ・・ユスラウメ


★695.「サ、暗」くなる前に帰ろうと言った木は・・サクラ(桜)

★694.この桜でで4つのタレができるよ・・4ダレさくら・・シダレザクラ


★693.お金が好き・・金銭・・キンセンカ(金盞花)

★692.ヤマイモがおいしいな・・ヤマモモ(ヤマモモ)

★691.
古い武士が好き・・古武士・・コブシ(辛夷)

★690.今日、ハチにチクッと刺された・・今日チクッと・・キョウチクトウ(夾竹桃)

★689.早く咲いて困っているよ・・ロウバイ

★687.サッキ見たよ・・札木・・サツキ


★686.前田利家が好んだ木は・・マツ(松)

★685.
百日も紅く咲いているよ・・サルスベリ(百日紅)

★684.履き物を2足用意したよ・・ツー履き・・ツバキ(椿)

★683.水着の素材にいいよ・・ミズキ(水木)

★682.木の手入れをしているよ・・ケアキ・・ケヤキ(欅)

★681.クスクス笑ってる木は・・クスノキ(楠)



【庭園の歴史】1.(大和〜室町時代)

権力者の遊興(ゆうきょう)や風雅の拠(よ)り所、信仰の対象として発展した


402年(履中・りちゅう3年)

大和国 磐余市磯池(いわれのいちしのいけ)に船を浮かべ、后妃たちと遊んだことが『日本書紀』の記述にある。

485年(顕宗・けんそう元年)

毎年3月に曲水の宴が行われた。この頃既に中国庭園文化の影響を受けていた。中国の東晋時代(4世紀〜5世紀)に曲水の宴が催されていた。『曲水せる水流に盃・さかずきを浮かべて飲む三月三日の酒宴』が語源とされる。

506年(武烈・ぶれつ8年)
皇居に池を掘り、苑を造り、食獣を飼った


飛鳥時代(写真;亀形石造物・明日香村)

皇居の南庭に、須弥山(しゅみせん)と中国風の「呉橋・くれはし」を架けた。明日香村の「水落・みずおち遺跡」や「石神・いしがみ遺跡」「酒船・さかふね石」「亀形石造物」などいずれも水と関わりのある施設も多く発見されている。この時代の権力者は、水の流れや水の音を楽しみ、時には斉明時代の「亀形石造物」は儀式の場として活用された。斉明時代に水に関する大土木工事が数多く行われた。蘇我馬子の邸宅(石舞台の南の河川敷)の『島の庄遺跡』から小島や池があったことが判明している。


奈良時代(写真;平城宮跡・東院庭園)

小舟を浮かべて園池を漕いだり、曲水の宴も行われていた。池に中島が造られたり、石も立てられていた。奈良市に平城宮東院の庭が復元されている。ここを訪れると、当時の庭の様式が伺える。


平安時代前期

京の都は、奈良に比べ、水流が豊富で庭園造りには絶好の場になった。京都の地形は、所々に地下水層にずれが生じているため、湧き水がでやすく、水量によって湧泉・ゆうせんや溜池・ためいけ(水たまり)ができ、池が造りやすい環境にある。二条の神泉苑には泉が湧いていた。皇室や貴族、文化人の邸宅には庭園が数多く存在していた。

★菅原道真の庭園


書斎に庭園があり(893年)、野筋(のすじ・・小さい築山・つきやま)の地形から何筋も遣り水・やりみずが流れていたという。また道真公の『飛梅・とびうめ』伝説にもあるように、たくさんの紅梅を庭に植えて、こよなく梅を愛玩していたという。そのことに因んで、福岡の太宰府天満宮の古図には、遣り水と紅梅が記されていたという。平安時代前期は水石庭の形成期であった。

平安時代後期(写真;平等院鳳凰堂)

貴族の邸宅は寝殿造りとなる。寝殿の前に池や中島・築山・遣り水・草花・松などが配置される。平安末期になると、戦乱や火災で水脈が無くなり、寝殿造りは衰退する。平等院が当時の面影を遺している。池に映った平等院の姿が美しい。


鎌倉時代

後鳥羽上皇が平安末期の白河殿・鳥羽殿など院政時代の庭園を復旧した


室町時代(写真;金閣寺・銀閣寺)

公家の庭園から武将の庭園時代の到来である。歴代足利将軍家では、初代足利尊氏・あしかがたかうじの時代から、こよなく庭園愛好家が噴出する。庭園造りがもっとも進化発展した時代は、室町時代と言える。将軍家ばかりでなく、家臣の邸宅も熱心に庭園造りが行われた。また寺院の庭園造りも活発に行われた。三代将軍義満・・北山 鹿苑寺金閣。八代将軍義政・・東山 慈照寺銀閣

庭園造りの騎手として夢窓国師・むそうこくし(1275年〜)が現れる。禅寺の庭園を手がけた。浄土的色彩を帯びていた。苔寺(西芳寺)や天竜寺は禅宗の庭の代表格といえる。禅宗の庭に枯山水(かれさんすい・・石と砂だけの庭・・竜安寺の石庭、金地院・こんちいん鶴亀石組みの庭園・南禅寺本坊方丈 白砂と白紋の庭園etc・・大徳寺大仙院は樹木のある枯山水)が登場するのもこの時代である。


夢想国師は苔寺や天竜寺の他に、京都南禅寺・京都等持院(足利尊氏の邸宅)・山梨県塩山市 恵林寺(えりんじ)の庭園も手がけている。庭師として、当時ひっぱりだこで
夢想国師は体を夢想酷使していたと思われる。夢想国師の庭園や石垣は、その後の時代も、庭園の見本として永く模倣され続ける。



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