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読書の記録

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天下分け目の関ヶ原」 邦光史郎 成美堂出版 
(2006.10.15)

著者・・大正11年〜平成8年。推理小説や歴史小説を手がける。放送ライター。著書に「大奥の謎」「七つの邪馬台国」「飛鳥残影」「坂本龍馬」etc・・がある。平成4年、京都市文化功労賞を受賞する

●写真・関ヶ原合戦地図、随所に解説あり・・と至れり尽くせりの懇切丁寧な、手間のかかった「小説」に感動


本書は1981年に出版され、関ヶ原の戦いを小説にしています。ところどころに写真や説明文が入っている珍しい小説です。1970年代の、大坂城・伏見城・佐和山城・上田城・清洲城・関ヶ原古戦場の古めかしく趣のあるモノトーン写真や合戦図屏風の写真、この他に肖像画の石田三成、徳川家康・加藤清正・細川ガラシャ夫人・柳生宗矩木像etc・・の写真が載っています。

【家康の関ヶ原の勝因】

@周知の通り、巧みな裏工作

家康が、西軍の大名(加藤清正・福島正則・黒田長政・小早川秀秋・堀尾吉晴etc)に所領を与えたり、所領を与える約束をして味方にとりこんだ

A小早川秀秋の裏切り・・その原因・・秀吉から国替えを転々と強いられる

秀吉・三成を恨む大名が多かったことが家康の追い風となりました。中でも関ヶ原合戦において15000率いる小早川秀秋の裏切り(西軍・大谷吉継隊の側面をつく)は、東軍を勝利に導きました。小早川秀秋(高台院の兄の五男)は1595年・秀次事件連座の罪で丹波亀山の領地を没収され、豊臣家を追われ小早川隆景の養子に出されます。その後小早川の所領を受け継ぎ筑前・筑後・肥前30万7000石の領主になりますが、慶長の役(1597年)での軽率な行動が三成によって咎められ、秀吉から筑前の領地を召し上げられます。この時家康のとりなしで秀秋は越前北庄15万石に落ち着きますが、所領を減らされ国替えをころころされて秀吉・三成への恨みが増します。秀秋は家康に恩義を感じこの辺りから接近したようです。

余談・・秀秋は関ヶ原から2年後の1602年、21才という若さで亡くなります。裏切り者のレッテルを貼られ、酒に心酔し体をこわした・・という説や、毛利暗殺説、家康暗殺説など諸説があります

A忍者を駆使・西軍を包囲

家康の特命を受けた柳生忍者軍団の活躍も大きかったことがよくわかりました。柳生宗矩(むねのり)をはじめとする忍者が西軍を包囲。西軍が密使を出すと途中で、忍者にはばまれ情報が漏れた。

B西軍に入らない家康動静情報

関ヶ原合戦前、家康が東海道を上って前線基地・清洲城に到着するまで西軍には気づきにくかった。岐阜と清洲城より東は家康の勢力圏で西軍の間者が一人も通れず、家康は敵に知られることなく悠々と東海道を移動できた。
著者は
「西軍は大作戦に不可欠である統制力と情報網の確保という二大要素に欠けていた」と指摘しています。


★☆★☆★☆その他

●一豊(東軍)についての記述


「・・一豊と申す男はまるで幸運の使いのようなものよ・・・・これで一豊は、まんまと二十万石の恩賞を物にしてしまった・・・それにしても山内一豊、まことに機を見るに敏であり、抜け目のない男である」・・一豊の著者の評価はこの記述に凝縮されていると思います。

一攫千金につながった
掛川城明け渡しの案は一豊が堀尾吉晴に相談して、堀尾の進言による・・との記述もあります。

●家康暗殺計画が何度も失敗

家康が上杉景勝討伐のため、伏見城を出発し会津に向かい、途中大津・石部に宿泊した時、島左近は三成に家康襲撃を進めますが、三成は卑劣な襲撃は武士の道に外れているとして反対します・・この話は事実だったかどうかわかりませんが、それ以前も家康は西軍の饗応の話には乗らず警戒して何度も暗殺計画が失敗に終わりました。

●西軍の登場人物で意外な人も・・

西軍側に、出雲阿国(写真;銅像)やその愛人である名護屋山三郎(なごや・さんざぶろう)も登場します。名護屋山三郎は1590年、小田原の役に従軍した歌舞伎役者です。1603年に亡くなります。

余談・・出雲阿国の墓は出雲にありますが、京都市北区大徳寺・高桐院(細川忠興が建てた)にもあります。一般に公開されていませんが、檀家の人の墓所にあるそうです。しかも阿国に並んで隣りに山三郎の墓もあるそうです。


●三成の処刑時のエピソード・・最期まで
「義」を貫いた三成

合戦後捕らわれの身となった、石田三成・小西行長・安国寺恵慧にそれぞれ小袖が一重ずつ渡されたが、三成だけは着ようとしなかったという。三成は敵方に「この小袖は、いずれより」と聞き、「上様よりくだしおかれたもの」と敵方が答えると、
「上様(秀吉様)はついこの間ご他界されたばかり、内府(家康)を上様呼ばわりいたすか」と言って袖を通さなかった。三成のかたくなまでの忠誠心が伝わります。

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