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岡山県岡山市2.・・宇喜多秀家ゆかり2.

★岡山城  
岡山市北区丸の内2−3−1  2012.8

■岡山城は、岡山のまちの発展の直接の礎となった城です。岡山城をめぐる歴史に大きな影響を与えた宇喜多直家と秀家は、現在の邑久町(おくちょう)にあった砥石城(といしじょう)主・宇喜多能家(よしいえ)の直系で、直家が天正元年(1573)、石山城主(旧岡山城・第1代城主))となりました。

その後、豊臣秀吉のもとで、大大名(備前宰相と呼ばれた)となった宇喜多秀家(直家の子・第2代城主)が、天正19年(1591)から慶長2年(1597)までの7年の歳月をかけて築城しました。その城は中国地方の従来の城には見られなかった高石垣で囲まれ、金箔おしの瓦を掲げた高層の天主がそびえました。これは空前の大建造物の出現であり、天下の名城といわれました。

1600年の関ヶ原合戦で西軍が敗れるまで、二代にわたり、宇喜多氏は岡山の発展に務めました。宇喜多能家(よしいえ)の孫にあたる直家が、岡山城と城下町の基礎を築き、秀家がさらに大きく発展させました。秀家の築いた城は、三層六階の構造で、外壁の下見板が黒漆で塗られていて、太陽光が当たると、烏(からす)の濡れた羽色に似ていたことから「烏城(うじょう)」とも呼ばれました。

1600年以降、1600年から1602年まで小早川秀秋が第3代城主となりましたが他界し、1603年から池田忠継が第4代城主になりました。明治2年(1869)まで代々池田氏が城主を務めました。

●月見橋より城を望む












●天守台(天守閣の基壇)が北に大きく突き出た不等辺五角形という珍しい形をしている












●月見櫓・・国の重文(江戸時代初期)

本丸内で唯一、空襲による戦禍を免れた建物。第5代城主・池田忠雄(ただかつ)によって、元和・寛永年間(1615〜1632)に建てられたもの。月見の他に、中段の表書院の警護、武器の貯蔵、隠し銃眼などの目的を保持した。                         

●宇喜多秀家、築城の頃の天守と石垣












●廊下門と、門の側面

本段と中段を結ぶ城主専用の廊下として使用した。門扉の上に敵を迎え討つための部屋を備えていた。1966年、鉄筋コンクリートで再建された。












●穴蔵(あなぐら)

凝灰岩の切石で造られ、元は屋根があった。非常食の保存をしていたと考えられている。







●中段広場にある表書院(おもてしょいん)跡・・岡山藩の政治を行う県庁があった場所で、65の部屋と庭園がありました。

●表書院の中庭にあった泉水(せんすい)・・復元されたもの












●表書院の茶室跡












●天守閣の礎石












●六十一雁木(がんぎ)上門(じょうもん)  ●不明門(あかずのもん)  ●城の5階












●5階からの眺め・・金の鯱が見えます












●6階   ●6階からの眺め   ●大名駕篭












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