展覧会報告 (2005.7〜) トップページに戻る  目次に戻る

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NO12 (2006.5.10)

「京都アスニー・平安京歴史ゾーン」・・平安宮の史跡「造酒司・みきのつかさ」に建つ歴史ゾーン 
中京区丸太町通七本松西入


●常設展示・・「平安京歴史ゾーン」

「京都アスニー」は平安時代、平安宮に位置していました。平安京を体感できる歴史ゾーンが常設展示されています。
写真右;豊楽殿(ぶらくでん)の屋根の鴟尾(しび)復元模型・・実物大(高さ1.5m)


●平安京の復元模型(縮尺1000分の1)

延暦13年(794)に遷都された平安京は、東西4.5km・南北5.3kmの方形の年として計画・建設されました。平安京の北方に位置する船岡山や鴨川、桂川も当時の景色のように復元されています。真ん中の太い道路は朱雀大路(現在の千本通り)、右は壬生通り。平安京は京都の礎となりました。碁盤目状の町並みが今も脈々と生きています。平安宮・大内裏も精巧に復元されています。(写真右)



●豊楽殿(ぶらくでん)の復元模型(縮尺20分の1)


豊楽殿(ぶらくでん)は大嘗会(だいじょうえ)や年中行事など、国家的な饗宴が行われた建物。饗宴儀式では、正面中央に天皇の高御座(たかみくら)が設けられた。豊楽殿は国家的な儀式を行う大極殿と対をなす建造物で、まさしく律令国家の象徴的施設であった。

朱塗りの柱と白壁を施した唐風の大建造物で、大棟両端には緑釉鴟尾(しび)を載せ、軒先も緑釉瓦によって葺(ふ)かれていた。昭和62年の発掘調査によって、豊楽殿基壇(きだん)跡が確認された。階段の位置や柱の位置が確認され、建築構造は組物・軒回りとも大極殿と共通した構造を持っていた。垂木先部の飾り金具は、豊楽殿のような重要建造物のみに使用され、天皇の権威や荘厳さをあらわしていた。この金具の出土から垂木部の構造が復元された。



●造酒司(みきのつかさ)跡発掘調査出土資料・・ここの建物で出土しました


平安初期の土師器、須恵器などが25点展示されています。大きな甕(かめ)に酒や酢が貯蔵されていました(ただしこの大甕(かめ)に限りここの出土品ではありません)














●洛中洛外図屏風 (上杉本)陶板壁画

狩野永徳が描き、織田信長が上杉謙信に贈ったと伝えられる。室町・戦国期の京の名所の賑わいを四季織り交ぜ豪華に描いた絵画的にも優れた作品

●聚楽第の大名屋敷跡から出土した金箔瓦 

●1Fのレストランでおはぎを食べて一服
















●平安宮・造酒司(みきのつかさ)倉庫跡・・・場所;建物玄関前

「京都アスニー・平安京歴史ゾーン」の建物は、平安時代、「造酒司(みきのつかさ)」があった場所です。酒や酢を造っていた役所が「造酒司(みきのつかさ)」です。発掘調査でこの建物の玄関にあたる部分で、当時使われていた土器がみつかりました・・・その土器が常設展示↑されています。


















「造酒司(みきのつかさ)」は大極殿の西北に位置します。倉庫の柱穴跡を模して建物の玄関前には、ユニークなデザインが施されています。
















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