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■中国伝来の食文化 2010.1

【我が国の食文化は古来より、中国から伝わり、影響を受けたものが数多くあります。その一部を紹介します。】

★@飛鳥時代〜奈良時代・・・古代チーズの蘇

飛鳥時代に古代チーズの蘇が伝わり、作られていた。その後、奈良時代になってからも平城京の都で蘇が作られていたことが『延喜式』に記されている。また長屋王邸跡から発見された木簡にも記されている。


★A奈良時代・・唐菓子(からくだもの) 

絵;京都市祇園・亀屋清永「清浄歓喜団」
(聖天さんの好物)

遣唐使が留学先から日本に帰って唐の菓子の文化を広めました。唐菓子は、麦や米など穀物の粉をねったもの蒸して、成形して油で揚げます。時には赤や青に色づけされてから揚げられました。

宮廷の節会(せちえ)や社寺の供物として用いられ、殿上人、高貴な人々に食されました。奈良県春日大社の神饌菓子「ぶと饅頭」がその代表です。ドーナッツや餡ドーナッツの原形です。
唐菓子は、神饌菓子として下鴨神社・祇園神社(八坂神社)にも伝わっているようです。


★B奈良時代・・端午の節句のちまき

5月5日に子供の健やかな成長を願って食される粽は、中国の故事に因む。紀元前4世紀頃、楚の国の国王に仕えていた屈原は詩文の才能に富み、国王から信頼を厚くされていた。それが同僚の妬みの原因となり、国王に讒言(ざんげん・・身に覚えのない罪の噂、告げ口)され、追放の身となる。絶望した屈原は63才にして、洞庭湖に身投げした。人々は嘆き悲しみ、5月5日の命日に竹筒に米を詰め湖に投じ、龍を祭って、その魂を鎮めたという。龍は天高く昇り、盛運の象徴とされている。
粽の細型の形は明治時代からで、それ以前は笹に包んだ丸形のものだったという。平安時代に始まった祇園御霊会・祇園祭(厄除け、悪疫払い)の粽もこの故事に因んでいるという。(絵;京都市東山区・川端道喜「道喜ちまき」)


★C奈良時代・・素麺

唐の国より伝来。素麺は「スーミェン」と呼ばれ、平たい麺や餅を索(さ)いたものとして、索麺(さくめん)・索餅(さくもち)として作られた。この「索(さく)」は、「裂く」とすると、細長いそうめんのイメージとなる。

★D鎌倉時代・・はるさめ

禅宗と共に中国・宋より伝わる。中国では粉条子(ふんじょうつ)と呼ばれ、緑豆でんぷんを原料とする。


★E鎌倉時代・・精進料理(菜食・穀物・大豆を主体とする)

仏教の戒律五戒の中で、殺生が禁じられている。動物の肉や魚介類も禁じられる。食の制限も、修行のひとつである。野菜、穀類、タンパク源として豆が用いられた。大豆の加工食品である数々の豆腐料理はこの頃のものである。

★F鎌倉時代・・茶の湯、点心、味噌

臨済宗の開祖である栄西禅師(1141〜1215)は、平安時代末期〜鎌倉時代にかけて24才(1168年)と46才(1187年)の時に、二度にわたり、中国・宋の国に留学している。帰国して、1202年、建仁寺の開山となった。栄西禅師は、禅宗を広めると同時に、お茶の種子を中国から持ち帰り、茶の栽培方法や、製茶の方法、喫茶の方法(抹茶、濃茶の点じ方)を広めたため、「茶祖」とされている。茶と共に、点心(間食・おやつ)や味噌も伝えた。

写真;建仁寺・「茶碑」
茶碑後方の茶園は「茶」招来800年(平成3年・・茶が伝わり800年)を記念して植樹栽培した「平成の覆い下茶園」。毎年5月10日頃、初摘みした茶葉を茶臼で挽いた抹茶を栄西・開山忌(6月5日)にお供えし、ご遺徳を偲び感謝の志を捧げている。


G室町時代・・臨済宗・栄西の弟子が広めた饅頭

建仁寺塔頭の開基、龍山徳見(1284〜1358)は、22才で中国・元の国に渡り、40年あまりを過ごす。時の将軍、足利尊氏の薦めで日本に帰国。1349年の帰国に際し、龍山禅師を慕い中国から追随してきた弟子の林浄因(りんじょういん)が饅頭を伝える。

中国の饅頭といえば皮の中に、肉や野菜を詰めて蒸す、肉まんをさすが、肉食を良しとしない我が国の嗜好に合わせ、小豆を煮て甘蔦(あまづら)を甘味として、煮詰め餡とした。こうして林浄因(りんじょういん)による、あんこの入った、日本型の饅頭ができ上がった。林浄因は饅頭の始祖と呼ばれる。足利将軍より「日本一饅頭処」の看板の名を賜り、その伝統が子孫に脈々と受け継がれてきた。その伝統は、饅頭菓子の老舗「塩瀬(しおぜ)総本家」として650年の歩みを誇る。塩瀬総本家は現在、東京に本店を始め、支店を多く構えている。

林神社(漢国・かんごう神社)・・奈良県、近鉄奈良駅の高天通り
にある神社。林浄因はここで饅頭(奈良まんじゅう)を作って広めた。毎年、4月19日にその遺徳を偲び、「まんじゅう祭」が行われている。


★H江戸時代・・普茶料理、インゲン、スイカ、レンコン

中国・明の隠元隆g大師が江戸時代に黄檗宗万福寺を開山する。精進料理である普茶料理を普及し、併せてインゲン豆、スイカやレンコンをもたらす。インゲンは隠元大師の名前から。

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