紫式部の部屋72           

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大堰の邸(やかた)・候補地・・清遊の宿(らんざん)

右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(清遊の宿・らんざん) 
  2012.9


■嵐山・亀山公園
























●亀山公園・茶屋近くにある、鎌倉時代の後嵯峨天皇・亀山天皇・後伏見天皇の御火葬塚の碑













大堰(おおい)の邸(やかた)候補地

桂川の嵐山周辺を大堰川、その一帯を大堰と呼ぶ。平安時代の初期からこの近辺は景勝地とされ、多くの皇族・貴族は好んでこの地を訪れ、船を浮かべるなどして詩歌管絃の遊びを行った。

『源氏物語』「松風」には明石上が母の尼君、娘とともに大堰に住む描写があるが、その場所が「大井(堰)川のわたりにありける」とあることから、この居所の推定地の一つとして、平安時代前期の桓武天皇の大堰離宮が掲げられる。その近くには光源氏の御堂(現在の清涼寺付近)があった。

1988年に当地で行われた発掘調査では、平安時代前期の建物に伴う園池跡が見つかり、桓武天皇が度々行幸された大堰離宮跡である可能性が高い。

















●看板のある、「清遊の宿・らんざん」























●看板の向かいにある、小倉百人一首殿堂「時雨殿」
















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