紫式部の部屋50           

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★宇治神社・・『源氏物語』宇治十帖・八宮の邸宅の地

八宮のモデルは「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)」(応神天皇皇子・仁徳天皇の弟)とされている

2011.6 京都府宇治市宇治山田



■『源氏物語』との関係

明治維新までは宇治神社とその奥に位置する宇治上(うじかみ)神社は二社一体でした。明治維新以降、宇治上神社が東奥に独立して鎮座しました。いずれにせよ、この一帯は応神天皇の皇子で、『』宇治十帖の八宮(はちのみや・・光源氏の弟)のモデルとも言われている「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)」の邸宅跡とされています。

莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)皇子は兄の仁徳天皇に皇位を譲り、自殺し、悲劇の皇子とされています。皇子が亡くなった後、邸宅跡にその莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)皇子の霊を祭ったのが両神社の起こりと言われています。また、応神天皇の離宮とも関わりがあったと思われ、「離宮社」、「離宮八幡」などとよばれていました。

●宇治川の東岸、朝霧橋の東詰に宇治神社の鳥居が見えます。












●宇治神社の向かいには、朝霧橋を借景とする『源氏物語』宇治十帖に登場する、「匂宮と浮舟」の銅像があり、いかにも『源氏物語』の舞台といった風情です。












宇治十帖(七)「浮舟」・・

【正月、中君のところに宇治から消息があった。浮舟のことを忘れられない匂宮は、家臣に尋ねさせたところ、まさしく浮舟は、薫君にかくまわれて宇治にいることがわかった。そして、ある夜、闇に乗じ、薫君の風(ふう)を装って忍んで行く。浮舟が事に気付いた時はもう遅かった 浮舟は、薫君の静かな愛情に引きかえ、情熱的な匂宮に次第にひかれていく。薫君は物思いに沈む浮舟を見て、一層いとおしく思われた。如月の十日頃、雪の中、宇治を訪れた匂宮は、かねて用意させていた小舟に浮舟を乗せ、橘の小島(こじま)に遊び、対岸の小家に泊って一日を語り暮らした。

   「橘の 小島は色も かはらじを この浮舟ぞ ゆくへ知られぬ」

浮舟は、二人の間で様々に思い悩んだ末、遂に死を決意する。】
 

●銅像横の、ヒカルゲンジ(つばき)の説明板












●兎楽(うらく)の樹・・鳥居横・・うさぎ伝説の神社

河内の国から来られる莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)皇子を、兎が先導し、振り返りながらお連れしたのがこの宇治神社です。その兎たちが、今も楽しく集い戯れる宇治神社を象徴する樹がこの楠(くすのき)の樹。















●うさぎのいる手水舎・・「桐原水」といわれる 宇治七名水・・宇治上神社にもあります












●祭神として、莵道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)を祀る















●参集殿(結婚式場) ●拝殿(桐原殿)















●国の重文となっている本殿












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