紫式部の部屋36

           

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★源氏物語千年紀・『斎宮邸跡』  2009.6

京都市中京区西ノ京東中合町・京都市立西京高校


斎宮は、天皇に変わって伊勢神宮に仕えた未婚の内親王または女王のことで、「いつきのみや」とも呼ば れた。『日本書紀』によると、垂仁天皇の時代が始まりとされ、亀の甲羅を焼いて占う卜定により斎宮が選ばれた。この制度は天武朝から南北朝時代の後醍醐朝まで続いた。(写真;葵祭)

2000年に行われた西京高校北側グランドの発掘調査で、16町の敷地(東西15m、南北40m)から池跡や木枠を組んだ泉跡、池に張り出す建物跡など数多くの遺構が検出され平安中期の邸宅があったことが判明した。

池跡から「斎宮」「斎雑所」と書かれた墨書土器が出土した。平安京跡出土の人形代としては最大級のものも見つかった。

池に堆積した花粉を分析した結果、庭には松・カエデ・柿・桜があったとされる。


【『源氏物語』との関連】 


「賢木(さかき)」の場面
六条御息所は光源氏との恋愛に疲れ、斎宮に選ばれた娘(秋好中宮)と共に伊勢神宮へ赴くことを決意。光源氏は野宮へ六条御息所を訪ねる。

「絵合(えあわせ」の場面
秋好中宮は母(六条御息所)の死後、光源氏の養女となり、冷泉帝の妃となり斎宮女御と呼ばれた。当初は帝になじめなかったが共通の趣味を通じて心を通わす。

★実在の斎宮母娘のモデルは、徽子(きし)女王と規子(きし)内親王とされている

















●西大路通りと御池通りが交差する交通の要所にあります

●説明板の写真には、斎宮邸CG復元図や発掘現場池跡、「夕霧」の場面もあります













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