紫式部の部屋35

           

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★源氏物語千年紀・大学寮跡 2009.3 

京都市中京区西ノ京北聖町

平安宮の南に4町(12000坪)規模の敷地に大学がありました。これは現在の国立大学に相当し、官吏師弟の教育機関となっていました。9世紀後半の最盛期は300人の学生がいましたが、律令制の崩壊に伴い徐々に衰退していきました。そして安元3年(1177)の大火で廃絶しました。

●『源氏物語』との関わり

大学寮の4町という広さは光源氏の六條院と同規模の広さです。紫式部はこの大学寮の広さを想定して六條院を設定したのかもしれません。

光源氏が子の夕霧に大学寮に通わせる描写があります。夕霧は12才で元服を迎えます。しかし源氏はあえて夕霧を優遇せず六位にとどめます。「少女(おとめ)」の場面では、大学へ行かせる根拠として「学問と大和魂を持ち合わせた人間にならなくては国家の重鎮は務まらない」ということが述べられています。やがて夕霧は進士の試験に合格し五位に昇格します。

















●平安時代に墨書きされた土器と、当時使用されていた筆記用具(看板より)












●大学寮があった中京中学校

千本通り(朱雀大路)に面する。大学寮は当時のメインストリートにあり目立ったと思います。














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