紫式部の部屋31           

トップページに戻る

紫式部の目次に戻る


★2008年が「源氏物語千年紀」となった根拠

11月1日は「古典の日」 


2008.11.9 
(写真;幟旗・・宇治市源氏物語ミュージアム・古典の日推進委員会、絵・・京阪宇治駅前「宇治十帖」の説明板)




















◆源氏物語千年紀と呼ばれる2008年もあと2ヶ月足らずで終わろうとしている。去る11月1日に「源氏物語千年紀記念式典」が、国立京都国際会館で大々的に行われた。そしてその日が「古典の日」と宣言された。その根拠となるくだりが、『紫式部日記』にあるとされている。

◆寛弘5年(かんこう5年・1008年)年9月10日、藤原道長の娘である中宮彰子(一条天皇の中宮)は、藤原道長の邸宅のひとつである土御門邸(つちみかどやしき・・今の京都御所)に宿下がりして、御子を出産した。御子は敦成(あつひら)親王で後の後一条天皇となる。

◆若宮誕生以来、十日ごとにお祝いが行われた。御産養(おんうぶやしない)、一条帝の土御門邸屋敷行幸、そして御五十日(おんいか)・・出産五十日目のお祝いも盛大に行われた。この五十日目にあたるのが11月1日。ちょうど千年前に、盛大な行事が行われたのである。

◆『紫式部日記』

祝宴の席で酒に酔った左衛門の督・かみであった藤原公任(ふじわらきんとう)が紫式部を探して、ふざけて「あなかしこ、このわたりに、わかむらさきやさぶらふと、うかがいたまふ」・・(もしもし、この辺りに若紫さんはいませんかと、尋ねた)。

紫式部は、「源氏に似るべき人も見えたまはぬに、かの上は、まいていかでものしたまはむと、聞きゐたり。」・・(源氏がいないのだから若紫もいませんよ、と冷たくあしらった。)・・という一節があります。若紫(源氏の妻となる紫の上)は源氏物語の第5帖に登場、このことから1008年、11月1日には宮中で『源氏物語』が広く読まれていて評判になっていたことがうかがえます。


◆千年前の『源氏物語』の所在が確認され11月1日が「古典の日」とされました。この古典の日を国民の祝日にという意見もあるようです。

●「若紫」の場面・・北山で若紫を垣間見る源氏

●『紫式部日記』・御冊子(みぞうし)作りより

1008年、11月17日の一条帝への還御(かんぎょ)が近づいた中宮彰子は、紫式部を呼んで内裏へのみやげとして「源氏物語」の御冊子(みぞうし)作りを命ずる。このことから「源氏物語」を、中宮彰子も愛読していたことがうかがえます。

(写真;・・藤原道長・中宮彰子・紫式部の人形・・京都市下京区・風俗博物館)













トップページに戻る

紫式部の目次に戻る

SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO