紫式部の部屋22.

           

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★源氏物語『帚木(ははきぎ)』ゆかりの地

平安宮・・左馬寮(さまりょう)跡・藻壁
(そうへき)門跡    

2008.10.5

京都市中京区西ノ京左馬寮町


この地は、平安宮の西限にあたり朱雀第二小学校の敷地にあるのでフェンス越しに石碑が建てられている。「源氏物語千年紀」に合わせて今年の3月、京都市によって建てられた。(写真;人形「風俗博物館」、豊楽殿復元図「京都アスニー」)

















●藻壁門跡(そうへきもんあと)

平安宮にある14門の一つで、切り妻・瓦葺きの門で正面五間に3扉がつく。東に豊楽院(ぶらくいん)・朝堂院がある。

●左馬寮跡(さまりょうあと)・・馬を管理していた所

藻壁門を入ってすぐの東南に、左馬寮跡があった。左馬寮は南に位置する右馬寮(うまりょう)と共に嵯峨天皇の時に再編された。馬寮は宮中の馬の飼育や調教、馬具、及び諸国の牧を管理する役所である。

●『源氏物語』、第2帖「
帚木(ははきぎ)」の場面と左馬寮の関係

帚木(ははきぎ)」の「雨夜の品定め」の場面で、左馬寮の長官である左馬頭(さまのかしら)が登場する。光源氏は17才、御所に籠もっている源氏を若い公達が訪ねて来て、女の品定めを、あれやこれやとする。そのメンバーは、源氏の友人でありライバルの頭中将(とうのちゅうじょう)と、左馬頭(さまのかしら)と、藤式部丞(とうのしきぶのじょう)である。経験豊富な左馬頭も熱く恋の話をする・・・。
















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