紫式部の部屋17.

           

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★風俗博物館F 2008.1.2
京都市下京区新花屋町通堀川東入る・井筒ビル5階
寺町通


★葵の上の夕霧出産・・六条御息所
(ろくじょうみやすどころ)の怨念 

源氏22才の8月、正妻の葵の上との間に夕霧が誕生した。この年の賀茂祭の新齋院御禊(しんさいいんごけい)の日、源氏の愛情をめぐって、正妻の葵の上と六条御息所(ろくじょうみやすどころ)とのあいだで「車争い」が起こっていた。車争いの勃発は、懐妊中の正妻の葵の上の牛車が、六条御息所の近くにやってきて見物場所をめぐって従者同士が争いになった事件である。左大臣家と正妻という立場を利用して葵の上に乱暴をはたらかれた御息所の悲しみと屈辱ははかりしれないものがあった。

●写真左;手前、源氏。出産する葵の上、葵の上にとりつく六条御息所の生霊(いきりょう)

葵の上は薬湯を母宮から頂き、抱き起こされてほどなく夕霧が誕生する。しかし六条御息所の生霊によりついに葵の上は死に至る

●写真中;左大臣・白装束の母宮(葵の上の両親)が産室のそばで待機する

●写真右;出産をひかえ、女房たちも清浄な白装束となる。安産を願って、物の怪の災いを防ぐため、母屋・御帳台・屏風・几帳・畳の縁全てが白くされた















●出産の準備をする白装束の女房 

●鳴弦(めいげん)・・矢を用いないで、弓の弦を鳴らし、魔を除ける

















●物の怪を退散させるために僧侶が加持祈祷を行う。護摩炊きも行われる。

●散米(うちまき)・・悪霊退散の手法として米をまくことも行われた。平安時代は、出産に伴う様々な苦しみは全て物の怪の仕業によるものとされていた。様々な形で悪霊退治が行われた。


















★源氏と紫の君の結婚と「三日夜(みかよの)餅」

●写真左・・源氏と紫の君

源氏22才の10月、紫の君は14才で源氏と結婚した。この年の8月、正妻の葵の上が夕霧出産後、急逝しており、七七日の法要(なななぬか・・49日目の法要)を終え、喪が明けた源氏は葵の上がいなくなった左大臣邸を去り、紫の君がいる二條院に戻った。

紫の君は、源氏の永遠の思い人の藤壺の宮の姪にあたり、その面影を深めて大人びていく紫の君に、源氏は心ひかれ結婚する。

●三日夜(みかよの)餅・・・写真右2枚・・惟光(これみつ)と弁(少納言の娘)

平安時代の結婚は、結婚した日から男が女の元に三日間通うことで初めて婚儀が成立した。三日目の夜に新婚夫婦の元に「三日夜(みかよの)餅」が用意され、二人でこれを食して祝うことを通例としていた。源氏は、長年仕えていた惟光(これみつ)に、三日夜餅の準備を促す。惟光は餅の準備をして、夜も更けてから紫の君に仕えていた少納言の娘の弁に餅を渡し、二人の元に三日夜餅を届けさせた。















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