紫式部の部屋3.           

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★「紫式部・小野篁(おののたかむら)墓所」 2006.10.17UP) 京都市北区堀川通鞍馬口上る御所田町

この辺りの紫野は、平安の昔から「蓮台野(れんだいの)」と呼ばれる墓地がありました。貴族の墓があった場所です。小野篁や紫式部の墓もここにあったとされています。その根拠は、室町時代の四辻善成が著わした源氏物語の注釈書『河海抄』に「紫式部の墓所、雲林院の白豪院の南に在り小野篁の墓の西なり」との記述があります。白豪院は雲林院の末院です。

●墓所は堀川通に面しています。さほど広い場所ではありません。入り口左には「小野篁卿墓」の碑、右には「紫式部墓所」の碑があります。入り口を通って、通路の奥右手に墓があります。















●紫式部顕彰碑と墓

「紫式部顕彰会」の人たちが、約20年前の1989年に、紫式部の偉業を讃える顕彰碑を建てました。この時に墓所も整備されました。

















●墓所には「ムラサキシキブ」が植えられています 

●紫式部の墓の隣りに、小野篁の墓があります(小野相公墓)

☆小野篁(おののたかむら・802〜852)

遣隋使であった小野妹子の子孫。小野道風・小野小町の祖父。平安時代、左大臣を勤めた公卿。学者・歌人としても名高い。小野篁(おののたかむら)は、冥官(みょうかん)でもありました・・・昼間は朝廷の歌人として仕え、夜は閻魔庁(えんまちょう)に仕えていたという伝説があります。夜、東山区・六波羅の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)の井戸から冥土の閻魔大王のもとへ行き死者の裁判に立ち会い、朝になると嵯峨釈迦堂・薬師寺境内の井戸に現れたとか・・。

この近くの「千本えんま堂(引接寺・いんじょうじ)」は、小野篁が閻魔法王の姿を刻み安置して開基になったと伝えられています。その寺には、紫式部の供養塔もありますので、「小野篁・紫式部」はいつもセットで供養されているようです。紫式部は小野篁が亡くなってから120年以上も経ってから生まれているのに、不思議です・・・。















                              

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