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★直江兼続ゆかりの古文書発見・・・北野天満宮

京都市上京区北野天満宮  2009.11.22


■北野天満宮屋根修理に、天皇の倍額を寄付した直江兼続


平成21年10月24日、北野天満宮の古文書から、北野天満宮屋根修理に、直江兼続が天皇の倍額を寄付していたことが明らかになった。後陽成(ごようぜい)天皇と、正親町(おおぎまち)院がそれぞれ黄金1枚を寄進。直江兼続は米百石を寄付、これは黄金2枚分に匹敵する額となる。

古文書は天正16年(1588)の「北野檜皮葺奉加帳」で、修理費を出した人とその額が記載されている。(「米百石 越後 直江山城守殿」)。直江兼続の故郷・越後の一部が室町幕府時代に、北野天満宮の領地があったからでは・・という説がある。

天正16年(1588)という年は、上杉景勝や直江兼続聚楽屋敷が建てられた年でもあり、屋敷から天満宮までもさほど遠くない。また前年の天正15年には、秀吉が北野で大茶会を開催しているので、秀吉の恩に報いるために大判振る舞いをした可能性もある。いずれにせよ、天正16年(1588)という年は上杉景勝や直江兼続にとって、京に進出して意気揚々としていた時期で、直江兼続の希望に満ちた思いが伝わってくる。

●宝物殿・・直江兼続と同時代展が行われている。屋根修理の古文書「北野檜皮葺奉加帳」も公開されている

■「天地人」・・涙の最終回

「愛と義」の精神を貫いた直江兼続。上杉や領民のために一生を捧げた。三人の子を失い、私生活はかなりつらいものがあったと思う。大河・最終回・・兼続「何も遺せなかったとは思わぬ。全ては心に刻まれている。姿に見えずとも心に生きづく者たちが我らをここまで導いてくれた・・・」・・涙、涙の最終回。

亡き父が米沢の出身なので、1年間思い入れがあって集中して視聴できた。父と、誠実でまじめ・実直な直江兼続の姿を重ね合わせて、視聴することができた。
















●三光門 ●拝殿と菊












●本殿・・様々な人々の寄進や、神社の方々の努力で立派な社殿が、今日に伝えられている
















●社務所前の「蓬莱宝船の菊」  ●絵馬所・・上七軒の茶屋の歴史展開催中












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