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史跡・ゆかりの祭り

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★豊国(ほうこく)廟

京都市東山区今熊野北日吉町
  2013.4

■東山七条のバス停を降りて、京都女子大前の女坂が豊国廟の参道にあたる。

豊臣秀吉(1537〜)は、慶長3年(1598)8月18日、伏見城で63才の生涯を閉じた。遺骸は遺命により、この阿弥陀ヶ峰に葬られた。翌年4月18日、秀吉は後陽成天皇より、正一位豊国(とよくに)大明神の神位・神号を賜り、山腹には境内域30万坪、社領1万石を誇る壮大壮麗な豊国(とよくに)社(やしろ)が創建された。

以後、毎年4月と8月の18日には勅使や北政所、豊臣秀頼の名代を迎え、盛大な祭礼(豊国祭)が執り行われていた。しかし、慶長20年(1615)、大坂夏の陣で豊臣家が滅びると、江戸幕府は豊国社の廃祀を命じ、以後は墓参する人も無くなった。

明治に時代が移り、豊国神社が明治13年(1880)、方広寺大仏殿跡の地に豊国(とよくに)神社として再興された。













●受付で入山料(参拝料)の100円を納め、荷物を預ける。

★出世開運・福寿ひょうたん御守 ★千成ひょうたん・開運絵馬 ★出世開運・ぞうり絵馬



























●標高196mの阿弥陀ヶ峰をめざす。気の遠くなるような565の階段。ちょっと登った所で見下ろす。

●中腹の中門













●中門扉の五七の桐紋    ●中門を見下ろす












●ついに山頂の豊国廟に到着












●現在の廟は、明治31年(1898)、豊太閤300年祭に際し、豊国会により全国からの募金で整備されたものである。その時、高さ約10mの巨大な五輪石塔が建てられた。












石塔下方に刻まれた五七の桐紋。












眼下の眺め

辺りは静寂そのもの








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