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史跡・ゆかりの祭り
★妙覚寺・・織田信長・信忠ゆかり
京都市上京区上御霊前通小川東入下蔵口町135 2011.6
■烏丸線・鞍馬口駅より南へ徒歩4分。堀川通りの東に位置する。妙覚寺は日蓮宗・京都十六本山の一つ。南北朝時代の1378年、竜華院日実上人により、信徒で豪商の小野妙覚の四条大宮の屋敷に創建され、その後、室町中期、9代将軍・足利義尚の命で文明15年(1493)、二条衣棚に移る。後、秀吉の都市計画により、現在地に移った。
■織田信長・信忠との関わり・・本能寺の変前夜の信忠の宿所
二条衣棚(現在の中京区・二条城の東)にあった妙覚寺は信長上洛時の宿所とされ、千利休による茶会も開かれた。天正10年(1582)6月、上洛した信長は本能寺に、信長の嫡男・信忠は妙覚寺を宿とした。本能寺の変の前日、6月1日は本能寺と同様、妙覚寺でも茶会が催された。翌日の未明、明智光秀の軍は本能寺を襲い、信長を自害させた後、信忠のいる妙覚寺に向かった。信忠は寺から近い二条殿に逃げたが自害に追い込まれた。妙覚寺も二条殿も信長が襲われた旧本能寺からわずか真北1qに位置し、光秀軍から逃れられる距離では無かった。
●妙覚寺大門
秀吉が天正18年(1590)に築いた聚楽第裏門を、寛文3年(1663)に移築したもの。大門は、西本願寺の飛雲閣、大徳寺の方丈・唐門などと共に数少ない聚楽第の遺構である。梁(はり)の上には伏兵を配置できる空間が設けられている。桜の木が生い茂っている。
●屋根葺き替え工事中の祖師堂
●唐門の玄関と方丈(事務所)
●方丈前の庭園
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